うちがひ わっぱ
(図37)うちがひ
是に大わっぱ(飯を詰める)、さいこわっぱ(お莱入れ)を入れて肩すきにかけて持った。うちがひは絣か縞の木綿、紺で作ったものあり。普通巾の木綿を捻じて縫ふ。そして七分処を縫ひ止めてある。
(図38)わっぱ
檜の(木質の)薄板を曲げて桜皮で止めてある。外は主に青緑に、内は朱色に塗ってゐる。側面と底の接ぎ目はウルシ(漆)塗りで、水の漏れないようになってゐる。蓋(親と云ふ)も中身(子と云ふ)も同じ位の探さである。それで、大食漢は親の方へも八分どおり飯を詰めて、(子と)と合はせて持った。
輕業師
(図39)輕業師の様に鳶口に全身を任せて千仭の崖にも逆さに吊り下がる。
上葛川の富之内の二男と云ふ人は、身輕くこんなこと朝飯前であり、或る時、栂の木から垂直に藤蔓が下がってゐた。それを下から伝い昇って6メートル位のところで腰鉈を抜いてその「蔓」を切って落ちたが、地面に輕々と立ってゐたと云ふ。
手風琴
(図40)幼き頃の想い出
オイチニの藥売、手風琴が珍しかった。1910年頃。
ゑびす様廻し(でこまわし)
(図41)ゑびす様廻し(でこまわし)
ゑびす様より廻す人の動作がおかしくて、笑ふ門に福が早速来さうに思った。
一、ゑびす三郎左エ門どのは ことし初めて御江戸へ下り とりさしょ習うた
テンツル カンツル
二、これじゃ食へない魚釣りョ習お 魚釣るなら目出鯛釣ってお家繁盛ョと
テンツル カンツル
三、飛び込み はね込む 家の内 そこでお内は宝の山で 宝積んだよ
テンツル カンツル
子供の履物
(図42)子供の履物の移り変わり
(1)と(2)について
(1)と(2)は、1920年位まで、4年生までは雨天でも(1)の草履、尋常5年位から雨天には下駄を履いた。
(3)1920年、此地に初めてゴム靴が売り出された。だが、みんな、素足で履いた。足がすれて痛むときは、足袋をはいた。
(4)1950年頃は、晴雨共堅い裏の千日履が生徒の足に登場。
(5)まもなくズック靴が登場、しかし、素足履きだった。
(6)1960年過ぎる頃から夏でもソックスを履かねばならん様に、贅沢になる。
(7)1963~4年頃より女子の雨靴
(8)男女共の運動の靴