(十一) 助詞の十津川言葉

 

 (1) 助詞のつかい方と種類

天気がよく仕事がはかどる
旅行行く
手紙書く
知りません

上の下線を引いた語は助詞である。昔から助詞は「て、に、を、は」と云って、言葉と言葉の間につかわれ、その二つの言葉の関係を表しているものである。
例えば天気がよく仕事がはかどる、の「て」は、「天気がよい」、という言葉と「仕事がはかどる」という言葉の間にあって、この二つの言葉が原因と結果の関係にあることを表している。
このような語が助詞で、助詞はその関係の表し方によって次の四種類に分けられる。

(イ)格助詞

が、の、を、に、へ、と、から、より、で

(ロ)接続助詞

ば、と、ても(でも)、けれど(けれども、けど)、ので、から、し、て(で)、たり、ところ、ながら

(ハ)副助詞

は、も、こそ、さえ、でも、しか、ほか、だって、ほか、なりと、まで、ばかり、だけ、ほど、きり(ぎり)、
か、など、なり、やら、くらい(ぐらい)

(ニ)終助詞

か、な、なあ、や、よ、ぞ、ぜ、の、わ、こと、もの、かしら、い、え、ね、さ

 (2) 格助詞のつかい方と十津川言葉

(イ)「が」の使い方と十津川言葉

鳥が鳴く
水がのみたい

上の「が」は「鳥」、「水」という名詞についてその名詞が主語であることを示している。そして「鳴く」「のみたい」が述語で、主語と述語の関係にあることを「が」が示している。
十津川ではこの格助詞の「が」はあまりつかわず「ん」をつかう。

 例 鳥ん鳴く
山ん高い

然し同じ格助詞の「が」でも「水がのみたい」の「が」は「水をのみたい」と「を」におきかえられる。この「を」におきかえられる「が」は「ん」にはならない。この場合は「みずーのみたあ」と主語の語尾をのばすくせがある。

(ロ)「の」のつかい方と十津川言葉

(a) それはおれ読んだ本です
(b) しっかり持っているだぞ
(c) 彼は音楽好きな人です
(d) そのきれいなを下さい
(e) 鉛筆だ筆だいろいろ買った
(f) 小鳥声がきこえる

格助詞の「の」には上の六種のつかい方がある。(a)と(c)の「の」は前に述べた「が」と同じく「おれ」「音楽」が主語であることを示している。
(b)の「の」は指示強調する意味を表す語である。
(d)の「の」は「されいな花」とか「きれいな絵」とかいう時の「花」「絵」のかわりに「の」を以って示しているので体言と同じ資格の語である。
(e)の「の」は事物の並列を表し、(f)の「の」は「小鳥」が「声」という語を修飾している連体修飾語であることを示している。
十津川に於ては(a)と(b)の「の」は「ん」になる。

 例 そりやーおれ読うだ本ぢゃー
しっかり持っているぢゃーぞ

(c)の「の」は「水がのみたい」の「が」に相当するはたらきをもっているので

おんがくーすきな人ぢゃー

と語尾をのばすのである。
(d)、(e)、(f)の「の」はそのままに正しくつかわれている。

(ハ)「を」のつかい方と十津川言葉

手紙書く 動作の対象を示す「を」
渡る 経過する場所を示す「を」
故郷去る 動作の出発点を示す「を」
半年遊んだ 経過する時間を示す「を」

上の「を」はそれぞれ意味をもっているが何れもそのついている語が下の用言を修飾していることを示している。
然し十津川に於てはこの「を」を省略する。そのかわり「を」のついている語の語尾をのばす。

あ段 語尾が「あー」となる
歯をみがく はぁーみがく
山を登る やまぁー登る
い段 語尾が「ゆー」となる
木を切る きゅーきる
火を炊く ひゅー炊く
う段 語尾が「うー」となる
徳をつむ とくぅーつむ
犬を追う いぬぅー追う
え段 語尾が「よー」となる
手を入れる ちょー入れる
家を建てる いょー建てる
お段 語尾が「おー」となる
戸をあける とぉーあける
ろをこぐ ろぉーこぐ

(ニ)「に」のつかい方と十津川言葉

(a) 公民館集まる 場所を示す「に」
(b) 五時起きる 時刻を示す「に」
(c) 奈良行く 動作の帰着点を示す「に」
(d) 虫が蝶なる 作用や変化の結果を示す「に」
(e) 呼びやる 動作の目的を示す「に」
(f) 物を貸す 動作の相手を示す「に」
(g) 降られる 受身の場合にその作用の原因を示す「に」
(h) 家が倒れる 動作作用の原因理由を示す「に」
(i) 甲は乙等しい 対比比較の目標を示す「に」
(j) と整えた 事物の並列添加を示す「に」
(k) 殿下はお元気であらせられる 尊敬する主語を示す「に」
(l) しきり、実、互い、さら 副詞をつくる「に」

上の如く「に」はいろいろな言葉を表すことにつかわれている。
十津川に於ては大体標準語の通りにつかわれているが(c)と(e)の場合は「に」を用いず「い」をつかう。これは ni の n が脱落して i だけが発音されるのであろう。

例(ⅰ) 動作の帰着点を示す場合
奈良行く 奈良行く
平谷行く 平谷行く
こっち来い こっちこい
あっち行け あっち行け
例(ⅱ) 動作の目的を示す場合
人を呼びやる 人を呼びやる
人を助け行く 人を助け行く
働き出る はたらき出る

(ホ)「へ」のつかい方と十津川言葉

南へ進む 動作の方向を示す「へ」
頂上へ登った 動作の帰着点を示す「へ」

「へ」は上のようにつかわれ、十津川に於ても普通につかわれている。

(ヘ)「と」のつかい方と十津川言葉

出かける ともにの意を示す「と」
秋も半なる 作用や変化の結果を示す「と」
甲は乙同じ 対比比較の目標を示す「と」
友達逢った 動作の対象を示す「と」
手足頼む 比喩を表す「と」
紙とを買う 事物の並列の意を示す「と」
弟が旅行したいいう 引用を示す「と」
じっ、ずっ、そっ 副詞をつくる「と」

上の如く「と」はいろいろな意味を表すことにつかわれる。十津川に於ても「と」は標準語通りにつかわれている。

(ト)「から」のつかい方と十津川言葉

から帰った 動作の起点を示す「から」
から三番目 順位の基準を示す「から」
御飯は帰ってからにします 体言の資格を作る「から」

「から」は上の如くつかわれ十津川に於ても正しくつかわれている。

(チ)「より」のつかい方と十津川言葉

歩くより楽だ 比較の基準を示す「より」
それより仕方がありません 限定の意を示す「より」

「より」は上の如くつかわれ、十津川でも普通につかわれるが、中には「よりか」と「か」をつける人が多い。

歩くよりか楽だ
それよりか方法がない

(リ)「で」のつかい方と十津川言葉

遊ぶ 動作の行われる場所を示す「で」
します 動作の起る時限を示す「で」
月賦買う 動作の行われる手段材料を示す「で」
病気休む 動作の行われる原因理由を示す「で」

「で」は上の如くつかわれ、十津川に於ても正しくつかわれている。

 

 (3) 接続助詞のつかい方と十津川言葉

(イ)「ば」の使い方と十津川言葉

読めわかる 順当な結果の起こる仮定条件を示す「ば」
一に一をたせ二になる ある条件が備われば、いつでもあることがらが起こる条件を示す「ば」
池もあれ林もある 同趣のことがらを並べあげるのに用いる「ば」

「ば」は上の如くつかわれるが、十津川言葉では「ば」はおそらく用いない。
「ば」は動詞、形容詞、助動詞の仮定形につく語で、既に述べた通り「ば」のつく語尾が変化してのばされる。

読めば よみゃー
たせば たしゃー
あれば ありゃー
行けば 行きゃー

(ロ)「と」のつかい方と十津川言葉

見るわかる 順当な結果の起こる仮定条件を示す「ば」に同じ「と」
一に一をたす二になる ある条件がそなわればいつでもある事が起こる場合の条件を表す「と」
家へ帰る日が暮れた あることがらの起こったその場合、その時を表す「ば」に同じ「と」
行こう行くまい勝手だ 「とも」の意味を表す「と」

格助詞の「と」は体言または体言に準ずる語についていたが接続詞の「と」は用言または助動詞の終止形につく。
十津川に於ては「とも」の意味を表す「と」はよくつかうが、それ以外の「と」はあまり用いないで「たら」「だら」をつかう。

見るとわかる 見たらわかる
読むとわかる 読んだらわかる
一に一をたすと二になる 一に一をたしたら二になる
家へ帰ると日が暮れた 家へ帰ったら日が暮れた

(ハ)「ても」「でも」のつかい方と十津川言葉

今日は行ってもいないでしょう 順当でない結果が起こる仮定条件を表す「ても」
いくら言ってもきかない 順当でない結果が起こる確定条件を表す「ても」

「ても」「でも」は上の如くつかわれ、十津川に於ても正しくつかわれている。

(ニ)「けれど」「けれども」「けど」のつかい方と十津川言葉

寒いけれど(も)辛抱します 順当でない結果が起こる確定条件を表す
文章も上手ですけど字も上手です 事実を対比的に並べあげるのに用いる「けど」は婦人語で男子はあまり用いない。

「けれど」「けれども」「けど」は上の如くつかわれるが、十津川では「けんど」とつかう。

寒いけれど辛抱します 寒いけんど辛抱する
不便な所ですけど遊びにいらっしゃい 不便な所ぢゃけんど遊びに来い

(ホ)「ので」「から」のつかい方と十津川言葉

道が悪いので歩かれない  
雨が降るから遠足がなくなった 何れも動作作用の原因理由を表す

「ので」「から」は上の如くつかわれ十津川に於ても普通につかってはいるが、これに相当する言葉に「よって」と「すかあ」というのがあって、それが多くつかわれる。

  例 道ん悪いよって歩かれん
雨ん降るすかあ遠足んのうなった

(ヘ)「し」のつかい方と十津川言葉

雨は降る、風は吹く、困った 並列の意を表す。
朝は早い、夜は遅い逢う時がない 二つ以上重なった原因理由を示す

「し」は上の如くつかい、十津川でも普通につかわれている。

(ト)「て」「で」のつかい方と十津川言葉

花が咲い実がなる 前後を接続する順態
知っいても言わない 前後を接続する逆態
赤く美しい 前後を接続する並列
紐が長いの切った 動作作用の原因理由を表す
持っいる、調べない 動詞と補助用言とを接続する

「て」「で」は上の如くつかい、十津川でも普通につかわれている。然し動詞と補助用言の接続する場合の「て」は用いないで「ている」が「とる」となることは既に述べた通りである。前後を接続する逆態の場合は動詞と補助用言のようにも見える。こんな時の「て」は用いないで次の如くにつかう。

知っていても言わない 知っとっても言わん
本を読んでないと駄目です 本をよぅーどらにゃーあかん

(チ)「ながら」のつかい方と十津川言葉

泣きながら勉強する 二つの動作が同時に行われる意味を表す(……つつの意)
知っていながら言わない 順当でない結果が起こることを表す(……にもかかわらずの意)

「ながら」は上の如くにつかわれ、十津川でも普通につかっているが、然し二つの動作が同時に行われる意味を表す場合の「ながら」はあまり用いないで「もうて」をつかう。

泣きもうて勉強する
仕事をしもうて歌をうたう
歩きもうて考えた

(リ)「たり」のつかい方と十津川方言

人が出たり、入ったりしている 動作の並列を表す
ノートに落書したりしてはならぬ 同趣のいろいろな場合を含めて概活的に示す

「たり」は上のようにつかわれ、十津川でも普通につかわれている。

(ヌ)「ものを」「ものの」のつかい方と十津川言葉

もっと早く来ればよいものを
合格とは思っていたものの

以上「ものを」「ものの」は接続助詞に準ずるもので、十津川に於ても普通につかわれている。

(ル)「ところ」「ところが」「ところで」のつかい方と十津川言葉

いくら考えたところでよい考えはない
試みに受験したところ(が)パスした

上の如くつかわれるが、十津川に於ては「とこ」といって「ろ」が省かれる。

いくら考えたとこでよい考えはない
試みに受験したとこパスした

 (4) 副助詞のつかい方と十津川言葉

(イ)「は」の使い方と十津川言葉

知りません

他の人は知っているかも知れないが、私は知らないという意味で、他と区別して取り出していうのに用いる。
十津川ではおそらくこの「は」をつかわないで「は」のついている語の語尾をのばすか或は語尾を変化して「やー」をつける。

  例 あの山は高い あのやまーたかー
これは何ですか こりゃーなんない
私は知りません おりゃー知らん
この海は青い このうみゃー青い

(ロ)「も」「こそ」「さえ」「しか」「ほか」のつかい方と十津川言葉

私に下さい 同種の事実のうち一つをあげている時つかう
手も足出ない 並列の意味を表す
雪が一メートル積った 意味を強める時につかう
こそ失礼しました 意味を強める時につかう
小学校の児童さえわかる 一事をあげて他を類推させる
それさえあれば結構です それと限って他を顧りみない意を表す
道が悪いのに雨さえ降り出した 添加の意味を表す
五時間しか寝ない
寝るよりほか仕方がない 「しか」も「ほか」も限定を表す。

 「も」「こそ」「しか」「ほか」は以上のようにつかわれ、十津川に於ても普通につかっている。

(ハ)「でも」「だって」「まで」のつかい方と十津川言葉

子供でも知っている  
子供だって知っている 左の「でも」と「だって」は軽い事物をあげて他の重い事物を類推させる
お茶でも飲もうか 軽い気持で動作をすることを表す
どこまで行くのか
まで起きていよう
わかるまで話そう 以上三つは所、時、事、の終点を表す
八分目まで入った
念のためにきいてみたまで 程度限定を表す
子供にまで笑われる 重いものをあげて軽いものを類推させる

「でも」「だって」「まで」は上の如くつかわれ十津川にも普通につかわれている。
然し「だって」は殆んどつかわないし、「まで」という言葉は「まーで」とのばす人が多い。

(ニ)「なりと」「なり」のつかい方と十津川言葉

どこへなりと行け 多くの事物の中から軽いものとして一つを選ぶ意を表す
私になり話してほしかった 「でも」と云う意味を表す
行くなり、止めるなり、早く決めよ 事物の並列選択を表す

「なりと」「なり」は上のようにつかわれるが十津川では両方とも「なぁーと」とつかう

どこへなぁーと行け
私になぁーと話してほしかった
行くなぁーと、止めるなぁーと決めー

(ホ)「ばかり」「だけ」「ほど」「くらい」「ぐらい」「きり」「ぎり」のつかい方と十津川言葉

一時間ばかりかかった
できるだけ手をつくした  
思ったほどでもない  
ぎり水につかった  
仮名ぐらいは書ける 以上下線をひいた言葉は程度を表す
自分のことばかりしている  
自分のことだけしか考えない 以上下線をひいた言葉は限定を表す

以上は十津川に於ても皆普通につかわれているが、「ばかり」は「ばっかし」とか「ばっかり」といい、「だけ」は「だっけ」とつかう。

(ヘ)「など」のつかい方と十津川言葉

など書いて遊んだ
太郎なども学校へ行った 例示の想を表す

「など」は上のようにつかうが複数ではない。「なんか」とか「なんぞ」と云う言葉と同じ意味を表す助詞である。
この言葉は十津川ではあまりつかわれないが、これに似た言葉で「ら」を用いる。「ら」も複数ではない。

太郎も学校へいた
おれも旅行したぁーよ
書ぁーてあそーだ
映画みとーなぁー

(ト)「やら」「や」「か」「かしら」のつかい方と十津川言葉

だれにやら渡した
いつ行きます  
いつかしらお逢いした 以上の「やら」「か」「かしら」は不確実な意を表す
菓子やら果物やらいろいろ買った  
菓子果物いろいろ買った 以上の「やら」「や」は事物の並列の意を表す
参ります 並列選択の意を表す

「やら」「や」「か」「かしら」は上の如くつかわれ十津川に於ても普通につかわれている。
然し不確実な意を表す「やら」という言葉はあまり用いず「ぢゃったか」を用いる

だれにぢゃったか渡した

「かしら」は十津川では「かしらん」とつかう

いつぢゃったかしらん逢うた
どこでぢゃったかしらん見た

 

 (5) 終助詞のつかい方と十津川言葉

(イ)「か」「い」「え」の使い方と十津川言葉

これは何 疑問の「か」
そんなことがある 反語の「か」
何を云っているんだ 意味を強める
勉強したか 意味を強める

「か」「い」「え」は上の如くつかわれ、十津川に於ても多く用いられる。
十津川では疑問の「か」や反語の「か」に「い」「え」「よ」をつける

こりゃー何かい 疑問
元気なかい 疑問
こりゃー何かよ 疑問
そがぁーなことんあったかよ 疑問
こりゃー何かえ 疑問
もう行たかえ 疑問
ありゃー何ぢゃい 疑問
そがぁーなことんあるかい 反語
そがぁーなことー云う者があるかよ 反語

(ロ)「な」「なあ」のつかい方と十津川言葉

心配する 禁止の意味を表す
うれしい 感動咏嘆を表す
今日は寒いなあ 感動咏嘆を表す
美しい花だなあ 感動咏嘆を表す

「な」「なあ」は上の如くつかわれるが、禁止の意味を表す「な」以外はあまりつかわれなかった。禁止の「な」にも「よ」をつけて「なよ」という。感動咏嘆の場合は「のう」と「のうら」を多くつかう。
また十津川では「がい」という言葉がある。これは「がなあ」と云う意味で矢張り感動咏嘆を表す言葉である。

心配するなよ 禁止
そがぁーな所え行くなよ 禁止
うれしいのう 感動咏嘆
いい天気ぢゃのう 感動咏嘆
うれしいのうら 感動咏嘆
いい天気ぢゃのうら 感動咏嘆
この花は美しいがい 感動咏嘆
大きな芋ぢゃーがい 感動咏嘆

(ハ)「ぞ」「ぜ」「よ」「ども」のつかい方と十津川言葉

さあ行く 強く指示する意を表す
今度はうまくいく 軽く指示する意を表す
全くすばらしい 感動強意を表す
まあおもしろい 感動強意を表す
太郎おいで 呼びかけの意を表す
太郎来なさい 呼びかけの意を表す
まだ走れるとも 強意、確実な断定を表す

上のようにつかわれ、十津川でも普通につかわれているが、「や」はあまり用いられない。殊に呼びかけの意を表す「や」は全然用いないといってもよい。

(ニ)「の」のつかい方と十津川言葉

どこへ行く 疑問を表す
私がわるかった 軽い断定を表す

「の」は上のようにつかわれるが、十津川ではあまりつかわない。然し疑問の意を表す場合に「のか」「ない」「ないよ」を多く用いる。

どこえ行くのか 疑問の意を表す
私が悪かったのか 疑問の形で軽い断定の意を表す
どこえ行くない 疑問の意を表す
何が悲しいないよ 疑問の意を表す

(ホ)「わ」のつかい方と十津川言葉

お客様がいらっしゃた 感動または強意を表す

「わ」は上のようにつかわれる。
この「わ」という言葉は江戸時代に「わい」「わな」「わさ」と男女共通に用いられていた。それが明治初期になって「わ」となり、婦人のみが用いる婦人専用語となった。
然し十津川に於ては「わ」「わい」「わよ」など男女共通でつかわれている。

  例 叔母ん来たわ
ああ!よわったわよ
おれも行くわい

(ヘ)「こと」「もの」のつかい方と十津川言葉

これから行ってみないこと 疑問の意を表す
まあきれいなこと 感動の意を表す
仕事のじゃまをしてはいけないこと 断定の意を表す
だってくやしいんだもの 理由、根拠を表す

「こと」「もの」は上のようにつかわれるが、十津川に於ては「もの」と感動の意を表す場合の「こと」はつかわれるが、其の他の「こと」はおそらく用いない。

(ト)「けれど」「けど」「かしら」のつかい方と十津川言葉

もしもし…京子ですけど  
私もそう思うのですけれど 余情を表す
私によく似合うかしら 自分自身、または他人に対して呼びかけながら疑問を表す

「けど」「けれど」「かしら」は上のようにつかう。何れも婦人語である。
先に「かしら」について述べたが、先のは副助詞で副詞のような作用をする助詞であった。ここで述べるのは終助詞で作用がちがう。
然し「かしら」は「かしらん」の「ん」が脱落した言葉で十津川では終助詞の場合ももとのままの言葉で男女共通でつかわれている。
尚「けど」「けれど」は十津川に於ては「けんど」といって男女共通につかわれている。

  例 おれもそがぁーに思うんぢゃーけんど
おれも知っとったんぢゃーけんど
おれによう似合うかしらん
おれも行てみようかしらん

(チ)「ね」のつかい方と十津川言葉

これは美しい 感情余情を表す
それはよかった 感情余情を表す

上のようにつかうと終助詞になる。然し

あのね、私がね、町えね、行ったらね、ほしい物がね、沢山ありました

上のようにつかうと終助詞とせずに間投助詞という人もある。また

ね…何か買って下さいよ

上のように言葉の一番先に「ね」をつけると、これは感動詞で既に述べた通りで助詞ではない。
十津川では「ね」はあまりつかわないで、多く「のーら」を用こる。

こりゃー美しいのーら
そりゃーよかったのーら

上のようにつかえば終助詞になり、

あののーら、おれんのーら、町いのーら、いたらのーら、ほしいものんのーら、ぎようさんあった

とつかえば間投助詞となる。また、

のーら…まっこと美しい

上のようにつかえば、感動詞で助詞でなくなるのである。

(リ)「たり」のつかい方と十津川言葉

僕も行くさ 強意、余情を表す

「さ」は上のようにつかわれるが、十津川に於ては禁止、命令の言葉につけて意味を強める場合に多く用いられる。その時に語尾をのばすくせがある。

  例 行けさー
来るなさー
見るなさー
早う本を読めさー

(ヌ)十津川方言「だ」のつかい方

そんなことがあるかい
そこに居るがい 強意を表す
あいだ、ありゃー  
戻って来たがい 強意を表すのであるが間投助詞のようにはたらく

(ル)十津川方言「ら」のつかい方

みんな行け
正月に遊びい来い
さあ起きー
仕事ーせー
いたづらーするな

上のように「ら」は十津川に於ては動詞、助動詞の命令形(十津川では五段活用動詞以外の命令形はよ、ろ、を省いて語尾をのばすことは既に述べた)及び禁止の意味を表す終助詞について複数の命令の意味を表すと共に意味を強める。

さあ起きろう
仕事をしょう
仕事をさしょう
絵をかこう

上のように「ら」は助動詞の「う」「よう」について「何々しようよ」という誘いかけの意味を表し、且つ意味を強める作用をする。

さあ起きゅうらよ
仕事をしょうらよ
仕事をさしょうらい
絵をかこうらい

 上のように「よ」や「い」を添えて余情を表す人もある。

みんな行かぁー
人のことは見ぃー
まだ起きー
勉強させー
旅行に行かまい

上のように「ら」を動詞、使役の助動詞の「させ」及び推量の助動詞の「まい」等の未然形につけて「何々しないようにしようよ」と誘いかけの意味を表し、且つその意味を強める作用をする。

こんな着物は着らーら(よ)
あんな映画は見らーら(よ)
まだまだ起きらーら(よ)
もう考えらーら(よ)
もうボールけらーら(よ)

上の如く上一段動詞や下一段動詞の未然形に「ら」をつけて、その語をのばした上に再び「ら」をつけて「何々しないようにしようよ」と誘いかけの意味を表し、且つその意味を強める作用をする。

太郎が走っつら 太郎が走ったわ
美しかっつら 美しかったわ
わやヂゃっつら めちゃくちゃだった
先生が来るらしかっつら 先生がお出でになるらしかった

上のように「ら」を過去完了助動詞「た」の変化した「つ」につけて「つら」とし、これを、動詞、形容詞、形容動詞、助動詞の連用形に連続させて意味を強める作用をさせる。