(81) おならのうた

 むかし、木こりのじいさんがおった。
 ある日、いつものように奥山に入って木をこっておった。
 すると、高い梢[こずえ]のほうから、きれいな小鳥のうたが聞こえてくるのじゃ。
「こがねさらさら、ヒョッカラ、ヒョンヒンヨー。」
「こがねさらさら、ヒョッカラ、ヒョンヒンヨー。」
 じいさん、木をこるのも忘れて、このふしぎなうたに耳をかたむけていた。そのうたはだんだん近づいて、とうとう、すぐそばの小枝に小鳥が下りてきた。黄色の羽、くるくるしたまっ黒な目、青いくちばし、それは、今まで見たこともないかわいい小鳥じゃった。
 じいさん、ポカンと大きな口を開けて見とれていると、小鳥はなにを思ったか、ピョンとその口の中へ飛び込んできたもんだ。
 じいさん、びっくりした拍子にひょいと小鳥を飲み込んでしもうた。
 しばらくたって、じいさん、おならをすると、
「こがねさらさら、ヒョッカラ、ヒョンヒンヨー。」
と、小鳥のうたそっくりに鳴るのじゃった。
 おならのうたは、夕方、山を下りるときも、夜、布団の中に入ってからも、
「こがねさらさら、ヒョッカラ、ヒョンヒンヨー。」
と、うたをうたうように、なんべんもなんべんも鳴るのじゃった。このうわさがやがてお殿様の耳にも届いた。
「なに、おならがうたをうたうと。ぜひ、きいてみたいものじゃのう。」
 やがて、お殿様の前に呼び出されたじいさん。
「こがねさらさら、ヒョッカラ、ヒョンヒンヨー。」
「こがねさらさら、ヒョッカラ、ヒョンヒンヨー。」
と、うつくしいおならのうたを鳴らしてみせたから、お殿様はたいへん喜んで、たくさんのごほうびをくださった。
 この話を隣村の欲ばりじいさんが聞きつけた。その欲ばりじいさん、早速やってきて、
「どうすりゃ、そんなおならが鳴らせるんじゃ。」
と、たずねるから、
「大豆を一升(一・八リットル)ほど炊いて食べたんじゃ。」
と、でまかせをいうと、
「よし、わしは三升(五・四リットル)食べて、もっとどっさりごほうびをもらおう。」
と、ひとりごとを言い、早速、無理して三升の大豆を平らげると、勢いよく殿様の御前にやって来た。
「申しあげます。このわしは、もっともっとおもしろいおならをしてご覧入れまする。」
と、腹と尻にうんと力を込めて気張ったものじゃった。
 すると、どうだろう。おならどころか、出たのはくさいくさいうんこの山じゃった。
 殿様、まっ赤に怒って、尻を針で刺す刑を言いつけた。
 やがて、お尻を血でまっ赤に染め、びっこを引き引き逃げ帰った欲ばりじいさんを見て、家の者たち、
「じいさん、赤い風呂敷にごほうびどっさり包んで帰ってきた。」
と、大喜びしたということじゃ。

話者   小森   西田 ワサノ
記録   湯之原   大野 寿男

(82) はくらんさん

 昔、野広瀬[のびろせ]に小さな谷があっての。
 その谷には、丸木橋がかかっておった。
 村の人が川津へ用に出るには、どうしてもその谷を渡らなあ行けなんだのじゃ。
 ところが、この谷を子供を産んで日数の少ない女が通ると、必ず病気になるなど良くないことが起こったそうじゃ。
 そんなことがあまりにも続くので、困った村人達はうらなってもろうたんじゃと。
 そうしたら、
「わしは、親の谷に住んでいた白龍じゃ。みんなを驚かせるので姿は見せられないが、親の谷(大字小井)が荒れて住みにくくなり、住み良い所を探してここまで来たのじゃ。どうぞ、ここで祀[まつ]ってくれ、祀ってくれれば女を守る神になろう。」
と、言うたそうじゃ。
 そこで村の衆は、道のかたわらに川原石を立てて、白龍さんを祭り、通る人ごとに花や食べ物をお供えして拝んでおった。
 それ以来、野広瀬では、お産で死ぬ人もなく安産の神様と崇[あが]められたのじゃ。
 それを伝え聞いた遠くの村からも、お参りに来る人が絶えなかったということじゃ。
 白龍さんは、いつしか「はくらんさん」と呼ばれ、ダムで水没後は、川津に祀られているんじゃよ。

再話   風屋   前木 千鶴子

(83) さいめん滝のたたり

 果無山[はてなしやま]にふそうき谷という険しい谷がある。
 そして、その中ほどに高さ二十メートル、つぼの周り三十メートルほどもある大きな滝がある。この滝は昼でもうす暗いほどで、滝つぼの底からは今にもなにかでてきそうな、それは気色の悪い滝なんじゃ。この滝を在所では「さいめん滝」と言うて、なんでも、この滝にはおとろしい主がおって、もしも谷をけがしたりすると、たたりがあるとおそれられておった。
 昔、この在所一番の元気者で山次[さんじ]という若者がおった。
 山次は、
「なになに、さいめん滝に主がおると。そんなばかなことがあるもんか。よし、ほんまにいるかどうか、おれさまが見てやるわ。」
と、ある日、背負いかんごにまやごえ(牛の糞)をうんとこ詰め込んで、さいめん滝の上にやってくると、滝つぼめがけて「ドボーン」と投げ込んだ。そして、
「やあい。ほんまに主がいるなら、さっさと出てうせろ。」
と、山次はどなっていばって見せた。けれど、いつもとおんなじ、ゴウゴウと滝の音があたりにこだまするばかりで、ただ、まやごえで青い滝つぼが白く濁ったぐらいじゃった。
 拍子抜けした山次は、
「やれやれ、わざわざまやごえまでくれてやったのに。」
と、ぶつぶつ文句を言い言い帰って行った。
 やがて、その日も暮れていつしか夜も更け、在所もどうやら寝静まったころ、山次は急に腹が痛いと苦しみだした。家の者、大騒ぎして夜どおし介抱したが、なかなか痛みは治らず、「痛い、痛い」と、家の中をころげ回った。
 東の空が、にいっと明けそめたころになって、やっと山次もおとなしゅうなった。おっかあが山次の顔をのぞきこんで、
「お前、なんぞ悪いもんでも食うたか。」
と、きくと、山次は首を横に振って、
「そうじゃない。おれは滝つぼへまやごえをまくしこんだった。」
と、言うもんじゃから、
「なんと、まあ、えらいことをしてくれおった。こりゃ、そのたたりじゃ。」
「早うきよめて、主のいかりをしずめんと。」
またまた、家中大騒ぎして、滝に塩をまき、酒や米を供えていっしょうけんめいに拝んだのじゃ。
 やがて、山次ももとの元気を取り戻し、また在所には静かな日々が続くようになった。
 それから、何年も経ったある年のことじゃった。
 ふそうき谷で、在所の衆といっしょに材木出しをしておった山次が、おらんようになったというのじゃ。谷の奥のてっぽうせぎの水を切って、材木を流しているうちに見えんようになったという。その日も暮れるまでさがしたが、とうとう見つからなかった。
 あくる日、在所総出でさがしておったら、
「山次がいたぞ。」
「山次が見つかったぞ。」
と、いうので、その声のする方へ走ってみると、山次は、さいめん滝のもう一つ下にある滝つぼの底に沈んでいたのじゃ。
 在所の衆は口ぐちに、
「やっぱり、さいめん滝のたたりじゃ。」
「たたりというのはおとろしい。いついつまでもたたってくるわ。」
と、いうて声をひそめたと。

話者   桑畑   岡 伊三男
記録   湯之原   大野 寿男

(84) 滝の主

 昔の年寄りがよう言うておった。
「グチナワが大蛇となり龍になるには、山で一千年、川で一千年、そして海で一千年、つごう三千年もの間、きびしい修行を積まにゃあならん、そして、三千年の修行を終えたら大蛇となって天に舞い昇り、そこで龍となって、ふたたびこの地上に舞い下り、大きな滝をえらんで、そこをすみかとする。」と。
 年寄りは、さらに
「大きい滝には、たいていその龍がおる。折立の猫又、大野のシラクラの滝、七色の十二滝、中原川の牛鬼滝、小川の大泰には主がいるということじゃが、その主の中でも一番偉いのが猫又の龍らしい。正月の朝には、東の空から錦[にしき]の雲がこの猫又の上に飛んで来ると、昔から言われておる。」
と、言うていた。
 また、滝の主のことでは、こんな話もある。
 昔、武蔵に源蔵というひとりの木こりがおった。ある日、源蔵がハツリ(ヨキの一種)の柄にする木を探しておったら、ちょうど大泰の滝の上でいいのが見つかった。
 源蔵は、早速その木を切り倒した。ところが、その木は、そのまま滝つぼへ落ち込んでしまった。大泰の滝つぼは、地元の人が「小豆[あずき]八斗まき」(百二十キロ)と呼ぶほど大きな渕で、木は底深く沈んでどうすることもできなかった。源蔵が残念がって青い渕をながめていたら、渕いっぱいが見るみるうちに白くギラギラと光り輝きはじめた。その白く光るものは大きなウロコじゃった。
「これはえらいことになった。昔からこの渕には主がいると聞いておるが、これはその主にちがいない。」
とあわてた源蔵は、そのまま玉置山へ登り、七日七夜こもっていっしょうけんめいに祈祷した。そのせいかその後、源蔵に大泰の主のたたりはなかったそうな。

話者   湯之原   羽根 定男
再話   湯之原   大野 寿男

(85) 瀞のぬし

 むかし、むかし、幸右衛門[こううえもん]という男がいた。男は毎日、毎日、瀞八丁に来て、釣り糸を垂れておった。
 春のある日のこと、その日も釣りをしていると、
「幸右衛門さま」
と、軽くやわらかに男の肩に手をかける者がいる。驚いて振り返ってみると、それはそれは美しい女が立っていた。
 一人暮らしの幸右衛門は、喜んでその女を家に連れて帰り、一緒に住むようになった。女は名前もいわず、自分の身の上も話そうともしなかった。ただ男のいうとおりに「はい、はい。」といって、よく働き、仲良く暮らしておった。その内、女は身ごもり、いよいよ子供が生まれる頃になったある日、改まって、
「お願いがあります。どうか川の辺りの、誰にも知られない所に小屋をたてて下さい。そこでお産をしたいのです。赤ん坊が生まれたら必ずあなたの元に帰りますから、それまでは見にこないで下さい。」
といった。男は不思議に思いながらも女のいうようにしたのだった。

 男は待った。けれどもなかなか帰ってこない。もう五日にもなる。もしかして、産後の肥立ちが悪くて、戻れないのかも知れない。そう思うと、矢も盾もたまらず、足音をしのばせて小屋の方へ行ってみた。戸の隙間からそうっと中をのぞいてみると、何と大きな蛇がとぐろをまいて、人間の赤ん坊を抱いているのだった。が、物音に気づいて頭をきっとこちらにむけると、急にもとの愛らしい女になり、赤ん坊を抱いて出てきた。
「幸右衛門さま、あれほどお約束したのに。もう、こうなってはおしまいです。ああ、幸右衛門さま、私はこの瀞のぬしだったのですが、余りにもお美しいあなたのお姿にみとれて…。どうかお許し下さい。私の代わりにこの子をお頼みします。お名残り惜しゅうございますが、さようなら…。」
 ぽかんとしている男の前に、紅絹[もみ]に包んだかわいい赤ん坊をおくと、女はさっと水の中へ消えてしまった。
 男が、
「待ってくれ。」
と叫んだが、女はとうとう戻ってこなかった。後悔と寂しさとやるせなさに、男は赤ん坊を抱いて泣いた。
 朝日ののぼる頃、小舟に赤ん坊を乗せ、八丁の瀞をこぎめぐる幸右衛門の姿があわれで涙をさそった。

 川のぬしさん 八丁の長さ
  かわいいぬしさん 舟の中
という歌は、こうした伝説から作られたということである。

「伝説の熊野」(昭和五年刊)から
再話   小西 良子

(86) 底なし田

 猿飼の高森には、底なし田がありました。
 あれは、わたしがまだ小さかったころ、高森の親せきの家へ遊びに行ったときのことでした。
 きょうは、在所のおばさんたちが寄って、宮田(神社の水田)の田植えをする日だというのです。
 ところが、この宮田は名にしおう底なし田じゃったらしく、いったんはまりこんだら、たいへんなことになると、おばさんたちはたいそうおびえていました。はまりこまないようにと、在所の衆は、この田んぼに大きな松の丸太をたてよこにして沈めてありました。
 わたしにも田植えをさせてとせがんだら、おばさんたちは、
「泥の中の丸太を踏み外したらあかんぜ。」
といいながら苗を取ってくれました。わたしは、いわれるままに、おそるおそる丸太を足でさぐりながら、苗を植えたのを今もおぼえています。
 やっと、田植えがすんで、おばさんたちと一服しているとき、おばさんの一人が湯呑のお茶をすすりながら、こんな話をしてくれました。
「ずっと昔、在所のある人が、うっかりして、この田んぼにうすをまくりこんだんじゃ。すると、うすは、ずるずるずると見るまに泥の底へ沈んでしもうた。さあ、たいへんと、在所の衆みんなで、いっしょうけんめい田んぼの中をさがしたものじゃ。けんど、いくらさがしても、とうとううすは見つからんかった。しかたなく、あきらめかけていたら、何日かたったある日、高森の下を流れる大川(十津川)のいちざこ渕にうすが浮いとるというので、行って見たら、そのうすは、宮田にころがりこんだうすに間違いなかった。」と。
 この高森の底なし田は、桑畑のいちざこ渕とつながっていて、底なし田にはまると、いちざこの渕へ出てくるというのでした。
 わたしは、子ども心に気色悪いことと思い込んでいたものです。

話者   湯之原   東 ひで子
記録   湯之原   大野 寿男

(87) 玉垣内の底なし田

 こりゃあ大昔の話じゃけんどのう。
 玉垣内の入口の道のはたに大きい田んあろう。
 あの田は、もとは大きい底なし沼じゃったんじゃあと。ほんで、沼の中に大きい松の丸太をいっぱいならべて、その上に泥をおいて田にしたんじゃちゅう話じゃあ。
 その底なし沼を田にするずっと前の話じゃが。
 この底なし沼には主がおる。その主は何百年もこの沼に住んでおる、ぐちなわじゃちゅうことが言い伝えられておったんじゃあ。
 その頃、その沼の近くの大きな家に、きれいな女の子ができたんじゃ。女の子は十四、五になったらどえらいきれいな娘になり、西川じゅうでも一番の別嬪[べっぴん]になったんじゃあ。
 その娘が十六になった年の春のある日の、ようさ(夜)のことじゃ。娘が一人ねよったら、一人の立派ななりをした若い男がその娘の部屋へ忍びこんできたんじゃと。ほいて、男は、なあにも言わんと一番どりが鳴あたら、だまって出ていってしもうたんじゃと。
 娘はちよっと心配になったんじゃけんど、あんまり立派ななりをした男じゃったよって、そのまま親にも言わずだまっといたんじゃ。
 ほいたら次の月の十日の夜もまた、みんなが寝てしもうたじぶんに、音もたてずに障子があいて、その男がはいってきたんじゃあ。
 男は、やっぱりだまって、娘のそばで一番どりが鳴くまでいて、音がせんように出て行くんじゃ。
 それから、毎月十日の夜になったら、きまった時刻にいつの間にか、その男が入ってきて、一番どりが鳴あたら出ていくんじゃと。
 そがあにしようるうちに、娘は、親らになあにも言うてなかったんじゃけんど、娘のそぶりでだんだんわかってきたんじゃ。ほんで親らも心配になって、
「月の十日になったら、お前んとこへ来る男はだれなえ、どこの男なえ。」
ちゅうて聞いてみたんじゃけんど、娘もさっぱりわからんよって、らちゃああかん、両親もよわってしもうたんじゃ。
 そこらでは、ちよっと見れんようないい男じゃし、娘もまんざらすかんこともなあらしいよって、もし、嫁にくれえいわれたら、やってもいいわと思うたんじゃけんど、どこの誰じゃあやらわからんよってしょんなあ。そこで両親は思案したあげく、
「こんど十日のようさ男がきたら、針に糸をつけておいて、その男がいぬときに、そっと着物のすそへぬいつけておけ。ほいたら、あとからその糸たぐっていたら、どこのし(どこの家の人)かわかるわ。」
ちゅうて、娘におしけ(教え)といたんじゃ。
 娘は、その次の十日のようさは、親にいわれたとおり、糸と針ゅう支度しといて、男がいのう(帰る)としたとき、知らんふりゅうして着物のすそへさしといたんじゃあ。
 ほいてから、朝みんなが起きてから、三人で糸たぐっていったら、その沼のとこへつとうとるんじゃあと。
 三人はびっくりして、ようしらべてみたら、糸は、その沼ん中へはいっとるんじゃあ。
 さあ、三人はびっくりしてしもうて、
「どがあにしたもんじゃろう。むかしから、この沼には主がおるちゅう話はきいたことんあるけんど、その主が男にばけて娘のとこへきよったらしいのうら。えらいものにみこまれたもんじゃ。」
ちゅうて娘はねこう(寝込んで)でしまうし、両親は、
「はよう言わんすかじゃ。」
ちゅうて、おこってみてもしょうがないし、よわっとったんじゃ。
そがあなことがあってから四、五日したとき、ちょうど、えらそうな山伏がその村を通りかかり、娘の家の前で足をとめて、
「この家にゃ近ごろ何かあったか。どうもこの家じゃ、最近、何か悪いことんあったようにみえるけんど。」
ちゅうんじゃと。ほんで娘の親は、
「こうこうこがあなことが、あったんじゃ。」
ちゅうて一部始終をはなしゅうしたら、
「ほんじゃ、おれが祈祷[きとう]をしたろう。ほいたら、もうその主もこんようなるよって。」
ちゅうて、それから、ごまあたく支度をして、十日の夜になるのを待って、日暮れからごまあたあて、山伏がよっぴとい(一晩中)おごうで(おがんで)くれたんじゃあと。
 ほいたら、そのようさはその男がこなんだんじゃ。
 やれやれよかったちゅうて、みんながよろこうで、あくる朝、その沼のとこへいて(行って)みたら、しりお(尻尾)のとこへ針んささって、そこからくさって死んだ大きなぐちなわが浮いとったんじゃ。
 やっぱりこいつじゃったらしいわ。ほんでもあれだけ娘にほれてかようてきたんじゃすか、このままではかわいそうな。あとのたたりんないように、おがんでもらいたいちゅうて、山伏にたのんで、ちゃんと祈祷をしてもろうたら、その後は、なあにもなかったちゅうこっちゃ。

記録   重里   東 勇

(88) ダルにとりつかれた

 今から五十年余りも前、わしが若い頃じゃった。
 たしか、あれは六月じゃった。在所の仲間と二人で白谷ヘアメノウオを釣りに行ったときじゃった。
 朝、まだ夜が明けんうちに湯之原をたって、湯の谷を通り、武蔵の在所へのぼり、焼峯[やけむね]を越えて大野の在所へ下り、また谷を渡って山越えし、白谷の飛び渡りへ下りたものじゃった。まあ、ざっと五里(約二十キロ)ほどの山坂道を歩いたものじゃ。
 この日は雲具合も水加減もよかって、まっこと、よう釣れた。あんまり釣れるので、時のたつのも忘れて、どんどん奥へ入ったものらしい。二人がやっと気がついたときには、すっかり日もかげって、もう夕方じゃった。
「こりゃあ、たいへんじゃ。はよ、あがらんと、よういなん。」
 二人はあわてて、魚の始末もそこそこに、朝来た山道を戻り始めたものじゃった。ころげるようにして、二人はものもいわずに走ったものじゃ。それでも、やっと、武蔵まで戻ったときにゃあ、もう、とっぷり日が暮れておった。あと一里余りじゃと、ずっしり重いぼうつり(びく)を肩にゆすりあげて歩きつづけたんじゃ。湯の谷を過ぎて、二つ丘を越えると、やっと湯之原の燈がちらちら見えだした。
「やっと来たぞ、あと一息じゃ。」
と、わしが声をかけたそのとき、どうしたことか、わしの足が動かんようになった。足を前へ出そうとすると、こんどは腰の力が抜けて、その場にへたへたっとへたりこんでしもうたんじゃ。後についておった仲間が、
「おい、どうした、おい。」
と、わしの背中をゆするのじゃが、もうどうにもならん。
-ははん、これじゃな。ダルにとりつかれるというのは。-
 わしは、仲間に
「すまんけんど、おれのうちへ行って飯をもらってきてくれ、おれはダルにとりつかれたらしい。動けんよ。」
と、頼んだ。仲間はあわてて家に走り飯を持って迎えに戻ってくれたんじゃ。わしは、飯を口いっぱいに押し込んだものじゃ。
 そして一息ついたら、わしは、さっさと帰ってくることができたよ。
 わしがダルにとりつかれたのは、湯之原のつい下[しも]まで来てからじゃった。今でも、このときのことを思い出すと不思議でかなわん。

話者   湯之原   羽根 定男
記録   湯之原   大野 寿男

(89) おとさんがダルにとりつかれた

 わしがまだ小娘のころのことじゃった。
 朝から弁当を持って、フジカズラ(筏を組むのに使った)を切りに山に入った父は、その日に限って、日が暮れても戻って来ん。
「おとさん、今ごろまでなにしよるんじゃろ。」
 家の者、だあれも夕飯もよう食わんと待ったが、帰って来ん。
 おかさんが、
「やっぱり、こりゃあ迎えに行かにゃあ、あかん。」
と、せっぱづまったようにつぶやいて立ち上がった。
 おかさんは、手早にちょうちんに火をつけると、このわしをうながして暗い山道へと急いだ。二人はちょっと行っては、
「おとさんヨー」「おとさんヨー」
と、まっ黒い山に向って叫びながら歩いた。やがて、親の谷へ行く道まで来たとき、
「おうい、ここじゃ。はよ、来てくれ。」
と、返事がした。まぎれもなく、それはおとさんの声じゃった。
 けれども、その声はいつもと違って弱々しくて、ただごとではないことが分かった。
「おとさん、どこじゃ。」
「おお、ここじゃ、ここじゃ、道の上じゃ。」
 声のする方の暗闇へ、ちょうちんをおかさんがかざすと、顔を引きつらせたおとさんが、黒い岩陰にうずくまっていた。
「わしは、動けんのじゃ。」
「なした、けがでもしとるんか。」
「いいや、足が立たん。腰が動かんのじゃ。」
 わしら、おなごらでは、おとさんを負うこともようせんし、途方に暮れておると、おかさんが、きつい声で
「ヨシヱ、お前ひとりでいんで、ばあさんにいうて来い。」
と、言った。
 わしは、おとろしいことも忘れ、泣き泣きひとりで帰って来て、
「ばあさん、えらいこっちゃ、おとさん、動けんようになっとる。どうしよう。」
と、泣きじゃくると、ばあさん、ゆっくりした声で、
「ヨシヱ、心配すんな。おとさんはダルにとりつかれとるんじゃ。なあに、飯を食わせたらなおる。」
と、いうと、めっぱ(べんとうばこ)に麦飯をつめ、赤いうめ干し一つと黄色のこんこづけ(たくわん)三切れのせると、うちがい(べんとうを入れてたすきがけにする袋)に入れて、わしの小さな背に結びつけた。
「さ、ヨシヱ、もう一ペん行っておくれ、この飯食ったら、おとさん、すぐ歩くわ。」
と、ポンとわしの背中を叩くのじゃった。
 わしは、また暗い山道をひとり、おとさんたちのところへやってきて、
「おとさん、飯持って来たよ。」
と、うちがいをほどいて出した。おとさんは、まるでガキみたいにめっぱの飯をたいらげ、二度三度、大きな息をすると、その場によろよろと立ち上がって足踏みして、
「もうきづかいない。」
と、いつものおとさんにかえった。わしらやっと安心して、夜道を足早に帰ってきたのじゃった。
 ばあさんも、小さい弟たちもみんな門に出て、おとさんの帰りを待っておったが、わしらが戻ったので、また家の中はにぎやかになった。おとさんが装束[しょうぞく]を解いて奥座に落ちつくと、
「あそこまで来ると、急に足がだるうなって腰の力も抜けたようになって、へたりこんでしもうた。」
と、首をかしげる。ばあさんが、
「それがダルじゃ。お前は、ダルにとりつかれたんじゃよ。そんでのう、そんなときにゃ、手のひらに米という字を三べん書いてそれをねぶるといい。それが呪[まじな]いじゃ。」
また、
「お前ら、これから遠い山へ行ったときにゃ、弁当の飯をちょっとだけ食べ残しておくもんじゃ。もしも、ダルにとりつかれたら、その飯を食べるんじゃ。そしたらすぐ楽になると昔からいわれてきたわ。」
と、教えてくれたものじゃった。
 ばあさんは、
「昔、ある旅人が食べものもなくなり、疲れ果ててとうとう山の中で死んでしもうたが、その怨霊[おんりょう]がダルになったんじゃ。」
とも言うておった。

話者   小井   天野 ヨシエ
記録   湯之原   大野 寿男

(90) 熊谷権現の石舟

 内原のせんぎり橋の下、宮の平という所に舟の形をした大きな石があるんじゃ。これを石舟と言っておる。
 昔、内原には、栗平[くりだいら]の神さん、花瀬の神さん、それに宮谷の熊谷権現さんの三つの社があったそうな。
 ある時、三つの神さんを一カ所に合祀[ごうし]することになった。
 宮谷の熊谷権現さんは、この石舟に乗って川を下って来なさったということじゃ。
 わしら、子供の頃、川へ泳ぎに行くと、
「おまえら、あの石だけには上るなよ、ばちがあたるでよ。」
と、年寄りから言われたものじゃ。
 熊谷口のもとの宮さんの前の川には、今も大きな石があって、それを七巻き半もする大蛇がいたそうじゃ。
 花瀬の神さんのつかいは狼じゃと言われておる。
 合祀されたお宮さんは水害や洪水にあって、上へあげ、現在の場所に祀[まつ]られているが、この石舟だけはどんな大水にも動かないそうな。

話者   内原   森崎 啓一
記録   風屋  前木 千鶴子