(91) 袴石

 ずいぶん昔の話だそうだ。ある年の十月、玉置神社では、どの神様を祭神に決めたらよかろうか、との話し合いがもたれたと。
 そこで、玉置神社では、十津川中の神々に、
「祭神を決めたいから、某日某の刻に遅れないように集まれ。」
と、呼び出しをかけたと。
 折立、中谷のお宮は、女の神様でたごころ姫といわれていた。玉置神社からの知らせを受けたたごころ姫は、ぜひ祭神に選ばれたいものだとひそかに思っていたと。
 いよいよ祭神を選ぶという日が来た。急いで身支度をすますと、玉置神社へと坂道をかけ出していったと。
 この日、たごころ姫は、祭神に選ばれたいとの思いが強く、なぜか落ち着かぬ心で支度をしたものだから、帯ひもをきちんと結[ゆわ]えてなかったのだ。もう、夢中で坂道を登っていた。やがて、玉置山が見える峠にさしかかったころ、なんとしたことか、具合の悪いことに、袴のひもがほどけてきた。そうなるとなさけないことに、袴のすそが足にまつわりつき、とても歩きにくくなってきた。ますます気はあせる。直すには時間がとてもたりない。とうとう、たごころ姫は峠の道の端にあった大きな石の上に袴を脱ぎ捨て、玉置神社へかけていったと。
 たごころ姫は、袴姿で歩いたことで、ずいぶん時間をとられ、玉置神社に着いた時には時刻にすっかり遅れ、祭神もすでに決まっておったと。
 玉置神社の祭神になりたい、という夢もはかなく消えたたごころ姫は、再び折立中谷のお宮に帰ったと。
 たごころ姫が祭神になろうと、玉置神社への道を急ぎ、あわてて袴を脱ぎ、載せたという石を、その後、誰いうとなく「袴石」と呼ぶようになったということじゃよ。そして、この道を通る村人は袴石に榊[さかき]などを供えるようになったと。
 今でもその袴石は、峠の道の端にある。

話者   折立   玉置 藤夫
記録   那知合   後木 隼一

(92) お尚とそうめん

 明治の初めに、谷瀬に長楽寺[ちょうらくじ]というお寺があった。このお寺のお尚は、なかなか気位の高い人物だったらしい。
 旭[あさひ]の迫に清水寺[しみずでら]という無住のお寺があって、年に何回か、この寺へお尚は訪れることになっていた。
 あるとき、迫の庄屋、福田兵蔵[へいぞう]に向って言うには、
「兵蔵よ、このわしを誰も招待してくれんが、これは、どういうわけじゃろうか。」
 兵蔵は、
「それは、お尚がお偉い方なので、村の衆は遠慮しておるのです。」
と答えた。お尚は、
「そうであったか。兵蔵よ、わしをお前の家に招待してくれんか。」
「それはもう、どうぞ、どうぞ。お越し下さい。むさくるしいところですが……。」
 お尚は、なおも言葉を添えて、
「兵蔵よ、わしをよんで(招待)くれるついでに、ひとつ頼みがあるんじゃが……きいてはくれまいか。」と言う。
「わたしにできることなら、お安いことです。何なりとお申し付け下さい。」
「なんにもいらんが、そうめん一貫目(約四キロ)と生醤油少々用意してほしいんじゃ。」
と、注文した。
 兵蔵は承知して、早速、天辻峠を越え、五条へそうめんを買い求めに行った。
 兵蔵の招きにより、お尚は、兵蔵の家を訪れた。兵蔵は大釜でそうめんをほどよくゆで、生醤油を添えて差し出した。
 お尚は、
「兵蔵よ、ご苦労であった。では、早速ごちそうになりますぞ。」
こう言って箸をとり、そうめんをほんの少し醤油につけて、ツルツルツルツルとおいしい音をたてて食べ始めた。その速いこと、速いこと。次から次へと口に運んで、あっという間に一ざる消えてしまった。兵蔵があわててそうめんをゆでに走ったほどであった。
 息つくひまもないほどの食べっぷりに、ポカンと見とれていた兵蔵に、お尚は、「どうじゃ、兵蔵よ、みごとじゃろうが……。」
と言って、また、食べ続けたという。

話者   上野地   岸尾 富定
再話   上野地   松実 豊繁

(93) 悲しい目まじない

 昔、昔、あるところにたいそう意地悪な姑[しゅうとめ]がおりました。
 嫁が畑を耕しているところへ来て、
「目に見えるほどもはかどらん。」
といって、嫁の手を打ちました。
 嫁が水汲みをしているところへ来て、
「目に見えるほどもかめに水がたまっとらん。」
といって嫁の肩を打ちました。
 嫁が、ひきうすできな粉をひいているところへ来て、
「目に見えるほどもきな粉がたまっとらん。」
といって嫁の腰を打ちました。
 嫁がはたをおっているところへ来て、
「目に見えるほどもおっておらん。」
といって背中を打ちました。
 嫁は、いっそう身を入れて働きました。けれども、姑はいっそう嫁をいびりました。
 嫁はとうとう滝つぼに身を投げてしまいました。

 夏のころ、小さな小さな虫が飛んできて、追っても払ってもブンブン、ブンブン、しつっこく目の周りを飛び回る。あれは目まじないという虫で、昔、いびり殺された嫁の怨霊だそうな。
「これでも見えませぬか。」
「これでも見えませぬか。」
と、人の目の周りを悲しく飛び回るのだといいます。

話者   湯之原   羽根 定男
記録   湯之原   大野 寿男

(94) 椋之助のとんち

 昔、あるところに、庭に一本、大きな椋[むく]の木が立っている家があった。
 この家には椋之助という息子がおった。
 また、その隣には、きりょうよしの娘がいて、よい婿[むこ]はいないかと探しておった。
 椋之助は少々変り者じゃったので、隣の娘にはまったく相手にしてもらえなかった。
 椋之助は、婿になる方法を考えた。
 ある日、椋之助は、夜になるのを待って、ムクドリに提灯[ちょうちん]をつけ椋の木によしのぼり、大声で、
「おうい、隣の椋之助を婿にもらわんと、たいへんじゃぁぞ。お前の家は潰れるぞ。」
と、隣に向かって叫び、バタバタとムクドリを飛ばしたからたまらない。
 隣では大さわぎとなり、とうとう椋之助を婿にとることにしたそうな。めでたし、めでたし。

話者   小森   西田 ワサノ
記録   湯之原   大野 寿男

(95) やんちゃ小僧

 むかし、親のいうことを聞こうとせん、やんちゃ小僧がおった。
 ある日、またまた、親の言いつけをきかんので父親は怒って、とうとう、柿の木に縛りつけたそうな。小僧、なんとかここを逃げ出すことはできないものかと思案しているところへ、魚売りが魚を担[にな]って通りかかった。
 やんちゃ小僧、木の上から、
「おうい魚売り。」
と声をかけると、魚売りが、
「どうして、そんなところにいるんだ。」
というから、
「おれは目が悪いので、ここでこうしてこもっているんだ。」
すると、魚売りは、
「おれも目が悪いのじゃ。おれもちょっと代ってこもらせてもらえないか。」
という。
「そうか、お前もか、そんなら代ってやってよいが。」
と、しぶしぶ代るふりをして縄を解いてもらい、入れ代りに魚売りを縛りつけ、急いで魚売りの荷物を担うて逃げ出した。
 そこへ、父親がやってきて、
「もうこれからは、言うことをきくか。」
と、いったら、魚売り、
「おれは目が悪うて、こもっている。」
と言い返したから、父親はかんかんに怒って、
「なんとなまくらな奴じゃ。もうそんな奴は海へほうりこんでやる。」
というて魚売りをそのまんま引っぱって行き、海の中へドボーンとほうり込んでしもうたそうな。これを見ておったやんちゃ小僧、しめたと思って家へ帰り、
「おとうよ、もうちょっと深いところへほうり込んでくれたら、大きな魚がとれたのに。浅いところじゃったから、こんな小さい鰯しかとれなんだわ。」
と言って、魚売りのかごを下ろしたと。

話者   小森   西田 ワサノ
記録   湯之原   大野 寿男

(96) 横垣の鬼ヶ城

 今から三百年余り前のこと。五百瀬[いもせ]から六キロメートル、護摩壇山[ごまだんやま]守りの横垣という所に洞窟がある。
 その洞窟のことを横垣鬼ヶ城と呼び、そこには更谷丈左衛門[さらたにじょうざえもん]という漢学者がおり、洞窟十八里(約七十二キロメートル)四方にわたって支配していたそうな。住いしていた洞窟は、断崖絶壁の中間で、彼は、免官[めんかん](官職を免ぜられた人)であったそうな。
 彼は、宮祭りや木の本鬼ヶ城への行き来以外は、姿を見せなかったという。しかし、正月元旦には、門開けだといって五百瀬の更谷家へ年始に黄金を持って行き、その返しとして塩をもらって帰ったそうな。
 また、丈左衛門は、本宮大社の祭典では、いつも常人[じょうじん](普通の人)として十津川の若い人といわれて御神輿[おみこし]を押したそうな。彼はこのようなとき、非常に力が強く、数十人を向うに廻して押し合いしても、相手の方が押し倒されたというすごい怪力の持主だったそうな。それで、横垣の鬼とひそかに呼ばれたものだ。
 このようなことだけでなく、どこのお宮の祭でも供えてある物の中から、保存できる物を大きな荷物につくって、遠い山道をかついで帰ったそうな。宮祭で、もちひろいをしている時などは、大勢の人を押しのけて拾い、たくさん持ち帰ったそうな。村人たちは、毎年の事であるので、常に恨んでいたそうな。
 あるとき、彼が那智神社のお祭に行って、いつものように、一人じめした荷物をかついで本宮まで帰って来た。ところが、待ちぶせしていた何者かが暗闇の中からいきなり飛び出して、刀を腹にさし、その場で殺したということだ。
 横垣には丈左衛門のお墓もないが、洞窟は今も川向うにぽっかり暗い穴をあけている。

話者   杉清   池尾 政二郎
再話   玉置 辰雄

(97) 麦のふんどし

 弘法大師は、唐での修行を終え、日本へ帰ることになりました。
 いよいよ日本へ帰るという日、ある家の前に来ると、この家の犬が大師に吠えつき、なかなかそこを通そうとしないのでした。
 この様子を見ていた飼主が、大師のそばに寄ってきて、
「この犬はね、何か盗んで持っている人に吠えつくんですよ。」
と、話し出しました。
「いいにくいことを申しますが、あなたは、きっと何か盗んで持っているのでしょう。これまでに、盗みをしていない人に、この犬が吠えたことは絶対にないのですよ。」
「そうですか。お言葉はよくわかります。しかし、わたしは何も盗んでいませんよ。」
「そうですかねえ。とにかく疑いの晴れないまま、ここを通すわけにはいきませんからね。誠に申し訳ございませんが、持ち物、それに着物から全部調べさせていただきます。」
と、その人は少々きびしく言いました。
 実は、そのとき、大師は唐にきて見つけた、麦種を盗んで持っていたのです。こんなことになることもあろうかと考え、麦種の隠すところをいろいろ考えた末、尻のめぞに隠していたのです。
 飼主は持ち物から着物まで全部調べたが、何も見つけ出すことはできませんでした。飼主は、すまなそうに、
「この犬が吠えた人を調べると、必ず盗まれた品物が出てきたのです。この度は、あなたのおっしゃるとおり、何も見つかりませんでした。何も盗んでないあなたを、この犬が吠えてたいへんご迷惑をおかけしました。本当に申し訳ありません。」
と、大師に深くおわびをいいました。
 飼主は、この犬がこれまでに一度だって間違えたことがなかったのに、今回はたいへん迷惑をかけた、といって犬を殺してしまいました。
 大師は、こうしてその場をうまくのがれることができました。しかし、あの犬には何とも申し訳のないことをしたものだと、気がとがめ、日本に帰ると、犬の供養をしたということです。
 さて、麦に細いみぞがついているのは、弘法大師が尻のめぞに麦種をはさんで持ち帰ったからだといわれています。
 この村では、ついこの頃まで、
「犬の供養のため、麦の刈穂をする。」
といって、旧五月の最初の戌の日に麦を三束刈り取って、はでにかけ、供養したものじゃ。

話者   那知合   後木 たけ
再話   那知合   後木 隼一

(98) 娘に化けたこんにゃくいも

 ずいぶん昔の話じゃよ。少しの田畑を耕しながら、じいさんとばあさんが暮らしておったと。
 ある日のこと、この家にかわいい娘さんがやってきた。二人は、この娘さんを招き入れ、楽しいひとときをすごしたのじゃ。しばらくして、風呂に入ってから帰りたいといいだしたのじゃ。ばあさんの世話で風呂に入り、さっぱりしたといって帰っていった。
 あくる日の晩になると、きのうと同じころ、また娘さんがやってきた。ひとしきりすぎて、また、風呂に入りたいからといって、風呂に入って帰っていったと。
 その後、毎晩のように娘さんが遊びに来ては、風呂に入って帰るようになっていた。じいさん、ばあさんにとってはうれしいことであった。
 ある晩のこと、ばあさんは、そろそろ寝支度をしようといろりの火に灰をかけていた。風呂から出てきた娘さんは、そのようすを見て、はっとしたように、
「おばあさん、風呂に灰水だけは入れんといてくれよ。」
といって、さっさと帰っていったんじゃと。
 じいさんもばあさんも、この娘さんのことは、少々気にはなっていたのじゃ。それだけに今の言葉は耳に残ったのじゃ。みょうなことを言う娘さんじゃのう。二人は顔を見合わせた。
 あくる日も、さして変わったようすもなく、娘さんはやってきた。そして、いつものようにすごしていた。ばあさんは、ちょっといたずらをしてみたくなったのじゃ。じいさんが風呂に入り、ばあさんも入ったあと、試しに灰水を入れておいたのじゃあと。
 娘さんは、そんなことには気付かず、風呂に入ったんじゃあと。しかし、やはり気になってしかたがないばあさんは、そっと風呂の中をのぞいてみたのじゃと。そこには娘さんの姿が見えないのじゃ。そして、風呂の中を見ておどろいたのじゃ。風呂いっぱいに、こんにゃくができていたという話じゃよ。
 昔から、こんにゃくいもも薹[とう]が立つようになると、人にばけるという話じゃ。

話者   那知合   後木 たけ
再話   那知合   後木 隼一

(99) 猫又の主

 折立から玉置へ登る途中にそれはそれは美しい猫又の滝があるがのう、そこにまつわる話じゃが、
 ある日のこと、中前のおばさんが筏をかく(組む)藤かずらを猫又の滝近くまで切りに行ったそうな。いいかずらが、何本も何本も見えるので心はずませて滝の脇をよじ登ったそうな。足元は岩だらけで登るのに一苦労したそうな。時々石も落ち渕の中にも飛びこんだそうな。
 おばさんは、かずらを切るのに夢中だった。
「やれやれよかった。こんないいかずら、どっさりあってほんまによかった。」
と、ひとり言を言いながら、だ円形のかずらの輪を作り、二か所しばって背負いやすくした。おおかた十五貫(約五十キロ)余りあったそうな。おいそ(背負いひも)で背負って、もと来た道をすべり下りて夕方、家へ帰ったそうな。
 おばさんは、夕めしの仕度を済ませ、家族の帰りを待った。夕めしを皆でとっていたとき、おばさんは息に体をぶるぶる震るわせて立ち上がる動作をし始めた。みんなはびっくり、どうしたんだろうと思い、熱をはかると少し高い。中前のおじさんは、
「そりゃあ、きょうかずら切りに行って、汗かあて風邪でも引いたんじゃろう。風邪薬飲んで早ようねえよ。」
と、言って早く寝させた。その夜は昼のつかれもあってか、よくねむったそうな。
 あくる日の朝、どうだろうかとおじさんが、そおっとねている様子を見ると、今度は両足を立てて、お尻を横にぶるぶると振っている。おじさんはおかしいと思うた。となり近所の人らも、
「これは、風邪じゃあなあぜ。こがあな、みょうなことするの、見たことなあわ。」
「一ペん神様に見てもろうたらどうなあ。きっと何かあるのとちがうか。」
といわれ、みてもらうことにした。
 すると、神様がいうには、
「あんたとこの嫁さんはな、猫又の滝へかずらを切りに行ったらしいが、その時、渕の脇で猫又の主(大蛇)が日なたぼっこをしていたんじゃ。そこへ嫁さんが石をまくり落としたらしい。それが尻尾にあたりきずをつけてしもうた。きずにはえがたかり、はえをおいはらう度に体を動かしているんじゃ。その動作が、嫁さんにうらみとして出ているのじゃ。早よう猫又の滝へ酒と米・塩を持ってあやまりに行って来い。そうせんなあ命をとられるぞ。わしも謝っておいてやるから。」
と、教えてくれたそうな。
 おじさんは、さっそく家に帰り、おばさんにこの話をすると、
「たしかに石は落ちて行った。まさか主がいるとは知らなんだ。わるいことをした。早よう、おどさんよ、わしの代わりにあやまって来てくれよ。わしは、足も腰も立たんよってよう。」
「よしよし。しっかりあやまって来たるわよ。心配するなよ。」
と言って、米・塩と酒を持ってあやまりに行ったそうな。
 おじさんが猫又から帰ってみると、おばさんは起きて座っていた。
「おうい、きずかないか。足も腰も痛いことなあか。」
「ついさっきから痛みがとまってきたわよ。」
「やっぱり主のばちがあたったんじゃのう。」
 ほんまによかったよかったと、みんなで大喜びしたそうな。

話者   折立   玉置 袈裟六
再話   折立   玉置 辰雄

(100) だまされかけたおじさん

 昔々。川津のある百姓家のおじさんは、日がな一日、田をすいていたそうな。
 そのうちにだんだんと日が暮れてきた。
「牛よ。今日一日ご苦労じゃったのら。さあ帰って休もうか。」
 牛から鞍をおろし、犂[すき]もはずして、畔[あぜ]道に置いた。おじさんも牛も一日の疲れが出て、とぼとぼと歩き出した。おじさんは、手網をもって、牛に引かれて家路に向かっていた。そのうち、牛は山道へ入って行くように、おじさんには思えた。これはどうしたことか。
「こら、こら、どこへ行く気ないよ。そこは山道じゃ。家に帰れんぞ。こっちじゃ、こっちじゃ。」
と、おじさんはいっしょうけんめいに手綱を引っぱったそうな。
 しかし、牛もがんこに言うことをきかず、「モーッ」とも言わず、グイグイおじさんを引っぱっていった。とうとう仕方なく、おじさんは牛についていったそうな。そのうち、やっと家に着き、牛は自分の小屋に入っていった。おじさんは、ふにゃふにゃと戸口に座り込んでしまった。家族は口々に、
「父さん、こんなに日が暮れるまで、何しょったんないよ。ほんまに心配したぜ。」
「そうか、そりゃあすまなんだ。牛が山道へ入るもんじゃあすか、こりゃあおかしいと、怒ったり引っぱったりしたんじゃが、言うこと聞かんもんじゃすか、仕方なあ、牛について来たんじゃ。それで遅うなったんじゃ。」
「父さん、何言うとんないよ。そりゃあ、父さんがタヌキにだまされて、山道へ連れ込まれかけていたんじゃあがいだ。」
「そうか、おれがタヌキにだまされて、牛の方がまともじゃったということか。」
と、頭をかいていたそうな。

話者   川津   野崎 優
再話   玉置 辰雄