( 1 ) 狸

   
 昔、高津の下の丸瀬下でのことであった。この時分の川といっても、谷のようなものだった。そんな所へ鮎ひきに行った時の話だが、わしが一日ひいて、夕方、家へ帰る途中のことだった。
 なにげなく川を眺めていると、一人の釣人が川原を上へ行ったり、下へ行ったりしている。何かを探しているのかなと、最初は思っていたが、あまりにもようすがおかしいので、よく注意して見ると、川辺の大きな岩の上に狸が座って尾を振っているのである。上へ振れば釣人は上へ、下へ振れば下に行く。
 これは、きっと狸にだまされているにちがいないと思い「お-い。」と大声で呼んでやった。すると、狸はびっくりしたのか、山の方へ逃げていった。釣人は疲れたのか、すわり込んで動こうともしない。しばらくして、川から上って来た釣人は、
「いくら帰る道へ行きたいと思うても、行けなんだんじゃ。」
「もう二度とここへは鮎ひきには来んぞ。足がだるうてだるうて。」
と言って帰ったことだ。

話者   高津   津本 数平
記録   津本 寛
再話   玉置 辰雄

( 2 ) 化かされた繁信じいさん

 今西一の猟師、繁信じいさんが、良い気分で目を覚ますと、久しぶりの雨降りであった。
「これはちょうどよい。たまの骨休みじゃ。そうじゃ、しばらく買い物にも行っていないし、あちこち用もある。ちょいと平谷まで行ってくるとしようか。」
と、支度をすると、五里(約二十キロ)ばかりの道を買い物に出かけて行った。
 たまの買い物である。あっちこっち寄って用事をすませ、荷物も一荷背負って、玉垣内まで来た時には、冬の日はもう西に落ち、うす暗くなっていた。家ではばあさんが待っているだろう、と今西道を急いでいた。
 じいさんといっても、まだ五十を少し出たばかりの年である。まだまだ元気者だ。細い道をさっさと歩いていたが、とうとう、日はとっぷりと暮れてしまった。用意していたちょうちんに火をつけ先を急いだ。やがて「かつらがま」へさしかかった所で、ふっとちょうちんの火が消えた。すぐ火をつけて少しばかり歩くと、風もないのにまた消えた。
 傘もさしているし雨が降りかかったのでもなかろうに。まてまてと、する火(マッチ)をすって、ろうそくに火をつけようとしたが、ちょうちんの中にろうそくがない。こいつはおかしい、と考えながら、新しいろうそくを取り出して、火をつけて歩き出した。ものの十歩も行かないうちに、火はまた消えた。あわてて火をつけようとしたが、ろうそくがない。さすがの繁信じいさんも、一寸[ちょっと]妙な気がしてきた。今度こそ取られないように、と最後の一本を取り出して火をつけ、ちょうちんの上に手をのせ、傘をさして用心しながら歩き出した。ところが、暗やみの中から石が飛んできて、傘は破れ、風がさっと吹いて、火はとうとう消えてしまった。暗やみの中で、ちょうちんの中に手を入れてさぐってみると、ろうそくがなくなっている。
 いくら慣れている道とはいえ、雨の夜道は真のやみである。荷物は背負っている。こう暗うては歩くこともできない。一思案しようと道に座わり込んだ。谷合までは、まだ遠い。こうなりゃあ、玉垣内までもどって、どこかで一晩泊めてもろうて帰るとしよう。
 さて、心は決めたが、雨はまだ降っているのに傘はもう役に立たない。暗やみの中をどう行こうか。なさけないことになったわい。こうなったらしかたがない、とあきらめ、はうようにしてそろそろ進み出した。
 ようよう玉垣内にたどり着き、山本(家号。羽根織吉氏宅)をたずねた。
「おーい。ちょっと起きてくれんか。」
と表戸をたたいたが、どうしても起きてくれん。手さぐりで何かないか、とさがしていると、足もとに細い棒を見つけた。その棒を拾ってどんどんたたいていると、やっと音を聞きつけたのか、家の中で人の気配がした。
「おいおい、誰ない。今ごろ何しとるんない。」
「今西の繁信じいさんじゃないか。なんでそんなものをたたいとるんない。早よう中へ入いれよ。」
 傘もささずに、びしょぬれである。我に返って、ちょうちんの明りに照らされてみると、家の表戸とばかり思っていたのは、裏手に立てかけてある板をたたいていたのであった。
「なんで表戸をたたかなんだのかい。それに、この様子何だ。何にしても、早よう上がれ。風邪を引いたらあかん。先に着がえよう。」
と家に上げてくれた。主人からいろいろ聞かれるが、ちっとも要領を得ない。そのうちに嫁さんに温かいおかゆさんを作ってもらい、気が落ち着いたのは、夜明け近くであったという。わずかの道のりをもどるのにこんなにも時間がかかっていたのか。山本の主人に、「古狸にでもだまされていたんじゃろう。」

といわれたが、何とも不思議なことであった。
話者   永井   羽根 秀壮
再話   後木 隼一

( 3 ) 笠捨山の化け物

 明治の初めごろの話である。そのころ、郵便物を運ぶ人のことを逓送入[ていそうにん]とよんでいた。逓送人は、郵便物を風屋、折立、そして玉置山を越えて夜中の一、二時ごろ笠捨山を通って下北山村の浦向[うらむかい]まで運んだのである。
 笠捨山は、「千年斧入らず」と言われるほどの原始林で西行法師があまりの寂しさに笠を捨てて逃げたことからこの山の名前がついたといわれる。それほどに寂しい所であるから逓送人となる人は、よほどの豪[ごう]の者だったわけである。
 ある晩の事、茶器某[ちゃきなにがし]という逓送人は、いつものように笠捨山にさしかかった。ところが、いつも通っている道であるのに、なんとなく普段と感じが違うのである。
「ウーン、おかしいぞ。生あたたかい風だ。」
立ち止まって思案していると時化「しけ」ランプの灯が、またたいて消えてしまった。
「灯が消えてしまったぞ。さて、どうしたものか……。」
あたりは、鼻をつままれてもわからない真の闇である。
「そうだ火縄だ。火縄に火をつけよう。」茶器は火縄に火をつけ、薄い光の中であたりをうかがった。前方に、茶色い妙なけだものが、前足をたててすわっているのが見えた。
「何だ、あいつは。なんとも奇妙なけだものだ。今まで見たこともないぞ。……なあに、負けてたまるものか。」
と、度胸をきめて、しばらくの間、けだものとにらみあった。そのけだものは、これはてごわい相手だ、と思ったのか、スッと姿を消してしまった。
「やれやれ、おかしなこともあるもんだ。」胸をなでおろして、山を越すことができたのである。
 それから二週間、何事も起こらなかった。三週目の夜のこと、笠捨山にさしかかった茶器は、また、あの生あたたかい風を感じた。時化ランプの灯も消えてしまった。
「こりゃあ、かなわんなあ。」
急いで時化ランプの灯をつけようとしたが、一向に灯がつかない。
「おかしいなあ。」と思いつつ、ふっと物のけはいを感じて正面を見た茶器はびっくりした。まっくら闇の中に髪ふり乱した女が一人立っているのである。顔はすきとおるように白い。しかし、目はつり上がり、口は真っ赤に耳まで裂け、とがった白い歯をむいて、こっちをにらみつけている。女の着物の縞模様まで、はっきりと見えた。すそが、かすかに夜風に揺れている。
 茶器は、どうしたものか思案したが、「そうだ、火縄に火を点けて投げつけてやろう。」と思いつき急いで火をつけ、それを女めがけて投げつけた。
「ギャー。」女は、妙な悲鳴をあげて消えてしまった。すぐ時化ランプに火をつけて、急いで山を越えた。
 二度も化け物に出会った茶器は、笠捨て越えが、いやでいやでたまらなくなった。それで、しばらく仕事を休んでいたが、彼の代わりをする人もおらず、郵便物はたまる一方であった。元々責任感のある男であったので、天秤棒で郵便物をかついで玉置山から上葛川・笠捨山へと歩いた。こうしてしばらくは、何事も起こらなかった。
 化け物のことなど忘れたころ、茶器は郵便物をかついで、時化ランプの明かりを頼りに笠捨山を登っていた。すると、生あたたかい風がほほをなで始めた。
「さては、また化け物だな。」と感づいたとたん、ランプの灯はフッと消された。
「よし、今度も火縄を投げつけてやろう。」火縄に火をつけようとしたとき、ゴウゴウと山鳴りがし始めた。そして、ドサーッ、バサーッという音もし始めた。何物かが、恐ろしい音をたてて山を下りて来るのだ。風まで恐ろしげに吹き始めた。
「おお、大入道だあ。」大入道が出たのである。高さは一丈余り、(約三メートル)山道をひょいとひとまたぎすると、ずんずん下へ下へとおりていった。大入道が山を下りていってしまうと、山鳴りも地響[じひびき]も風も、うそのようになくなった。こそっと、音をたてるものもないほど、山は静けさにもどった。茶器は、壷の底にいるように感じた。耳が痛くなるような静けさである。耳の底が、シーンと鳴っている。
 突然、茶器は、気が狂ったように山道を駆けのぼって行った。この静けさが、また別の恐怖となって、彼をいたたまれなくしたのである。
 翌日、浦向の郵便局では、いくら待っても逓送人の茶器が来ないので大騒ぎとなった。そして、かれが下りて来る道をたどっていくと、一軒の山小屋があった。もしや、と思って戸を開けると、柱にしっかりしがみついて、ブルブル震えている茶器を見つけたのである。よほど恐ろしいことがあったのか、全く口を開こうとはしなかった。気が落ち着いてから、化け物に出会ったことを、彼の口から、ぽつりぽつりと聞くことができた。
 そこで、浦向の人たちは、山伏にお祓[はら]いをしてもらうことになった。お祓いをすませた山伏は、「丑三つ時は、山の主たちの時間なので、人間が入ってくるのをいやがるのだ。」と話してくれた。そこで、郵便局から東京の逓信省(今の郵政省)へ、郵便物運送の時間を変更してくれるように申し込んだ。返事が来るまで日数がかかるので、その間は、鉄砲や刀をもった人たちが、逓送人を守って笠捨山を越えたのであった。
 東京からは何の返事もなかったが、そのうちに郵便物は新宮へ運送されるようになり、笠捨山を越えることは、廃止となったのである。

話者   上野地   大島 潔
記録   上野地小学校
再話   松実 豊繁

( 4 ) 繁信じいさん

 今西の中ほどに、堂の岡という所がある。そこに繁信じいさんは住んでいた。このじいさんは、今西で一番といわれる腕のいい猟師じゃった。猟期になって、じいさんが、朝早く鉄砲笛を鳴らすと、あっちこっちから応答の笛の音が聞こえてくる。しばらくすると、それぞれの装束で、自慢の犬を連れた猟師たちが、三々五々集ってくる。
 今日は、いのしし狩りである。いのししの情報を交換する。じいさんの家で、すぐ作戦会議である。じいさんは、てきぱきと指示を与える。二、三人が内待ち[うちまち](いのししの通り道で待っていて獣を撃つこと)へ向かう。この場所では、物音一つ立ててはいけない。獲物が来るまで、煙草もしんぼうして、じっと待つのである。
 一方、数人の勢子[せこ](鳥や獣を狩り出す人)は、いのししの足跡をたよりに前進する。これからは、犬の活躍に期待をかけるのである。やがて、土に湿り気のある真新しい足跡が見つかり、いのししの居場所に近づくにつれ、犬は鼻を低くして臭いをかぎ、主人の持つ縄を勢いよく引いていく。早く獲物に向かって駆けて行こう、というのである。遠くの方から待ち笛の音が聞こえてくる。さっそく犬の縄をはずす。犬は喜び勇んで、我先に息せき切って駆けて行く。間もなく獲物にほえつく声が、山々に大きくこだまして聞こえてくる。いのししの牙を恐れたのか、鳴き声の悪いやつも耳に入る。数匹の犬が、猛然といのししに立ち向かっている様子が、手に取るように伝わってくる。おや、こば(いのししを取り囲んでいる犬の群のこと。いのししが、突然一匹の犬をめがけて突進したのである。)が崩れたのか、犬の鳴き声が変わったようだ。
 だが、このいのししは、たいてい内待ちしているところへ走っていく。内待ちの腕の見せどころである。
「撃ち倒したな。」
腹にひびくような鉄砲の音。しぱらくの沈黙ののち、内待ちの所からひびく鉄砲笛。
 五、六十キロもあるいのししをつりさげた丸太棒[まるたんぼう]を、前後でかついで意気揚々と家路を急ぐ。もちろん、じいさんの家である。これからは、ばあさんも忙しい。五升なべをすえて準備にかかる。外では、板を敷き、いのししを載せる。まず腹をさく。皮をはぐ。犬も鼻を鳴らしながら縄を引っぱる。まだ湯気が昇っている肉を山刀[やまがたな]で手ぎわよく切ってゆく。内臓は、それぞれの犬に分配する。慣れた手つきで、またたく間に皮、肉、骨に分けられていく。
 要領をのみ込んでいるばあさんは、今さばいたばかりの肉を五升なべに入れてたく。そして、長屋からどぶろくを運んでくる。
 じいさんは奥座敷に座わる。続いて、他の猟師が岸座、うら座へとそれぞれ座に着く。芳しいにおいをたてて肉がたける。どぶろくの酔がまわってくる。舌づつみを打ちながら肉をほうばる。しだいに酔がまわるにつれ、話がはずんでくる。夜も更けてくる。自慢話がひとしきり続いて、あとは明日の打ち合わせなどして、それぞれの分け前を持って、満ちたりた足どりで、更けゆく夜の家路をたどっていく。

話者   永井   羽根 秀壮
再話   後木 隼一

( 5 ) 雨乞いのこと

 真夏に、全く雨が降らない時がある。そういう時には、畑の作物がヨロヨロになるばかりか、田の稲も駄目になる。駄目になるのは作物だけでなく、人間も駄目になる。
 そうすると在所の代表者が、前鬼[ぜんき](シャカの近くか)に火をもらいに行く。竹の荒皮をはいで、それを縄にない、火縄をつけて火をもらってくるのである。
(途中で他の在所の人にも火を分ける。)もらって来た火は神社へ持ちより、火をお祭りする。そのあと松明[たいまつ]に火を移しとり、
 あめあめ たもれよ あめあめ たもれよ
 あめあめ たもれよ 雲の上の 陣五郎よ
と、みんなで歌いつつ川までおり、松明ごと川に流した。それでも雨が降らなければ幾日も続ける。さて、この火を送った翌日には必ず、誰もいるはずのないあちこちの山に、いくつもの火がともる。
「あめあめ たもれよ。」の歌を、大人だけで歌うのは馬鹿くさいしえらいので子供にもさせたものだ。
 雨乞いが、天に通じて雨が降れば、その日は雨休みといって、すべての仕事を休んだものだった。

話者   沼田原   辻 降幸
記録   松実 豊繁
 

( 6 ) おくり狼(1)

 わしが二十五、六歳の頃、小森郵便局に勤務していた時の事であった。
 いつでも、寂しいことの知らないわしが、何としたことか、戦場に行って来てからと言うもの、特に夜中は寂しくて寂しくてたまらなくなった。
 ある夜、大野の森の氏本さんという家に、別紙配達の電報がはいったので、どうしても行かなくてはならないことになった。
 わしは、一人ではどうしても寂しいので、家内を連れて行くことにした。
たしか、夜の十二時過ぎだったと思う。小原滝峠から、芦廼瀬川[あしのせがわ]沿いに細い道を上り、峠という家を過ぎて、五百米[メートル]も行ったかと思うとき、一匹のこげ茶色の犬が前方を歩いている。家内に
「寂しいので丁度よかったのう。」
といいながら犬に
「来い来い。」
と呼びかけたが、振り向きもせず、どんどんさきに歩いて行くだけであった。犬との距離は約二十米[メートル]位、懐中電燈の光でも、はっきりと見える距離で、大野の森(地名)の少し手前まで一緒だったが、急に犬の姿は見えなくなった。
「あ、犬がおらん。ありゃあ、森のどこかの犬だったんだろう。」
と家内と言いながら氏本さん宅を起こし、電報を渡し、帰りを急いだ。
 先程、犬が姿を消したあたりへ来たら、又二十米[メートル]位さきに、さっきの犬が現われた。帰りも前と同じようにして、峠の家の近くまで来たとたん、姿を消してしまった。家内に
「ふしぎな犬もいるのう。」
と言いながら、その夜は寂しくもなく帰った。
 翌朝、局長さんに昨夜の犬の話をしたところ、
「ああ、それはきっと送り狼だよ。これまでにも何度か電報配達人を守ってくれたことがあるんだよ。」
と話してくれた。
送り狼というものが、おるとは聞いていたが、自分が本当に出会うのは初めてだった。
 送り狼は、白足袋[しろたび]をはいていると聞いていたが、そのとおりで、足首から下は真白で、暗闇でも足もとだけは良くわかった。
(当時の局長さんは山本亀秀さんだそうです。)

記録   小井   天野 武春
再話   玉置 辰雄

( 7 ) おくり狼(2)

 昔、昔の事であった。道は樹木に覆われ、トンネルのようだった。また、落葉も厚く道に積もっていた。当時の履物は、藁草履[わらぞうり]か鞋[わらじ]ぐらいしかなかった。山道を歩くと落葉をはね上げ、バサバサ音を立て、後から何かがついて来る感じだったそうな。
 ある日の夕方、祖父は帰りが遅くなり、提灯[ちょうちん]に火をともし、濁谷[にごりだに]の近くへ来た時、後ろで何かの音がする思いで、立ち止って振り返ったが何もいない。姿も見えない。きっと草履に落葉がついてくる音だと思い、また歩き出した。すると、また音がする。だんだんと近寄って来たかと思うと、大きな音を立て何かが祖父の横を通り抜け、先に出た。見れば、犬よりもやや大きなけものであるようだ。一瞬、ぞうっと身の毛がよだった。大声をあげようと思ったが、声がまるっきり出なかった。この時、「ああ、おくり狼だ。」と直感したそうだ。息をつめて先を急いだ。ところが、狼は前になり、後になりしてついて来る。あわててつまずいて倒れでもしようものなら一気に餌食[えじき]になる、と聞いていたもんだから、生きたここちはしなかったそうだ。「がまんがまん。」と気を沈めて、注意深く足元を照しながら歩いた。
 家の門まで、やっとたどりついた。振り向くと、狼はこちらをにらんで立っているのである。はいていた草履を、そっと脱いで、
「ご苦労さん。」
と言い、狼に投げてやったそうだ。狼は、草履をくわえて闇の中へ姿を消していった。
 祖父は真青[まっさお]になって、家の中に跳び込み、家族にこの様子をしどろもどろに話し、一気に冷酒を飲みほして、気を取り戻したそうな。
 くわばらくわばら

話者   長殿   小澤 武夫
再話   玉置 辰雄

( 8 ) おくり狼(3)

 祖父(定吉[さだきち])が十六歳の時のこと。家の用事で旭の迫[せ]から篠原[しのはら]へ行って、その帰り道の出来事だった。行きは成畑山[なりはたやま]越えして一気に篠原へおりた。用をすませて帰りは、舟の川を下って沼田原[ぬたのはら]越えして長殿、栂之本[とがのもと]を通り中谷へ着いた時、日はとっぷりと暮れていたそうな。
 中谷の在所から尾根(山の高いところのつらなり)づたいの横道にさしかかったころから、何ものかが後からついてくる様子。確かに自分の足音以外に別の足音がする。なんだか背筋がぞくぞくし、血の気が引いて髪の毛が立つ思いで、思わず足が速くなった。提灯[ちょうちん]を放って、駆け出したい気持ちだったそうな。
 しかし、腹を決めて後を振りむいたら、提灯の薄暗い明かりの向こうに、二つの大きな目が光って見えた。「おくり狼だ。」と直感した。話には聞いていたが、実際に見るとこわくてこわくて仕方がない。かと言って、駆け出すわけにもいかない。どうするすべもなく、体中、脂汗が出て、体は硬くなり冷えてきたように思えた。
 いつ飛びつかれるか、今、食われるかという思いにかられながら、やっと迫の在所が見える峠に着いたそうな。やれやれ一安心と思った時、ふと背中に鉄砲を背負っていることに気づき、急いで荷を下ろし、鉄砲を空へ向けて一発ぶっ放した。峠の下には叔母の家がある。鉄砲の音に驚いて跳び出てきた叔母は、
「定吉か、どうした。」
と言った。
「どうもないがおくり狼に送られた。」
と言いながら、後を振り返ったときには、もう狼の姿はなかったそうな。

話者   旭   岸尾 富定
再話   玉置 辰雄

( 9 ) 玉置山の狼

 租父は、嘉永[かえい]六年生まれで昭和十四年にこの世を去った。
 家が材木商を営んでいたので、十五歳になると一人で新宮へ用使いに行かされて、大人扱いを受けたそうだ。
 当時の街道は、折立[おりたち]から玉置山を越え、九重村[くじゅうむら]へ出て、そこで一泊。翌朝荷舟[にぶね]に乗せてもらい、やっと新宮へたどりついたそうだ。
 ある朝のことであった。祖父は九重へ向かって細い山道を急いで歩いていた。まだ誰も通った者がいないらしく、行くさきには蜘蛛の巣があり、木の枝で払いつつ歩いた。そのとき、前の方で朝霧[あさぎり]を透かして、何か黒く動くものが目に入った。ゆっくり歩いてもいやでもそこに近づいてしまった。
 驚いたことに、大きな牛の頭になんと五匹の狼がたかり、食いついているのである。しばらく木の陰で立ちすくみ、見つめていた。耳まで裂けた口は血で赤くそまり、ガツガツ音を立てて食べている。その様子に自分の体は振え、鳥肌が立ち、血の気が引いていくのがわかった。
「さあ、大変なところへ出くわしたぞ。これからどうしよう。」
「思い切って前へ進もうか、それとも逃げようか。」
思案するうちに大分、気が落ち着いてきた。
「そうだ。狼は、めったに人間にかかってこないと言う。思い切ってここを通ってやろう。」
と決心した。
だが、狼たちは狭い山道をふさぐようにぐるぐる動き回り、牛の頭にかぶりついている。狼たちは食べることに無我夢中のようだから、うまくこの場を突破できるかも知れん。祖父は度胸を決め、
「御馳走さまじゃのう。」
と言いながら、お尻がくすぐったい思いで通り抜けた。狼は食べることに夢中で、全く知らん顔だったと言うことだ。
「やれやれ、助かった。」
と思わずひとり言が口からもれたほどで、後も振り向かず、一目散にその場を走り去ったそうだ。狼は猛獣のように思われがちだが、実際は意外とおとなしく、人に危害を加えることはまずなかったと言う。

話者   折立   玉置   豊
再話   玉置 辰雄

(10) 明治の大水害(1)

 明治の頃には、わしらの宇宮原[うぐはら]は五十戸あまりもあって、たいそう繁昌していたという。在所の宝蔵[たからぐら]には競馬場(八丁[はっちょう]競馬)があったし、造り酒屋もあってにぎわったらしい。わしらの祖父は、この造り酒屋で働いていたから、暮らしも悪くはなかった。川向こうを西熊野街道が通っており、在所の真向かいにあるきじ矢谷には、旅籠[はたご]があって、いつも何人かの旅人が泊っていた。
 ところで、明治二十二年八月十八・十九日の二日二夜、ちょうどほそびき(直径一センチほどの綿ロープ)ほどもある大雨が天から落ちるような勢いで降り続いたらしい。
 その時、旅籠には十二人の旅人が泊っていたのじゃが、その中には、その頃の宇智[うち]・吉野郡長玉置高良[たまきたかよし]さんもいた。
「こんなすごい雨は初めてじゃ。こりゃ、きっと何かがおこる。たいへんなことになるにちがいない。」と、もう九十歳にもなる宿の年寄りが、さも心配そうに空を見上げるのじゃった。
「なあ、みなの衆、これは危い。早よう山へ逃げよう。」と、うながすが、だれ一人として相手にしなかった。年寄りは、仕方なく一人、降りしきる雨の中を山の頂上めざして登りそめたのじゃった。
 年寄りが、山の中ほどにある松の大木の根元にたどり着いたときじゃった。いきなり、大地をゆするような地ひびきがしたかと思う間もなく、足元の山が崩れ落ちていく。真下に見えていた旅籠がぐらっと動いたかと思ったら、山のかたまりといっしょに荒れ狂う十津川の濁流に水煙[みずけむり]とともに呑まれてしまった。それは、あっという間のできごと、山肌がえぐり取られ、木立ちも家も消え、あたり一面が明るく開けたようじゃった。
 このきじ矢谷の山崩れで在所の家々がいくつも流された。
 この年、わしらの父は十七歳。母はまだ十三歳じゃったらしい。
 川の水が、みるみるうちに上がってきて、今にも家がつかるというので、外へ跳び出てみれば、水はもう膝上までもきており、命からがら上の山へ逃げたという。みんなガタガタ震えているところへ、川向うの上野地から矢文[やぶみ]が飛んできた。矢に結びつけられた手紙には、「川下の丸瀬[まるせ]に大山崩れがおきて川がせき止められた。今、中野村[なかのむら]じゅうが湖になった。」と、書いてあった。
 そういえば、流れは逆になって、十津川は大塔村の方へと流れていく。水かさは、いよいよ高くなるばかり。やがて、第二の知らせで、宇井や辻堂までも逆流しているということじゃった。
 何軒も何軒も家が流れる。波間に浮いたり沈んだり、やがて水煙の中へ消えていく。分家の為五郎[ためごろう]伯父[おじ]が、流れる家の屋根にまたがり、泣きながら手を振っておめいた。「おれはもうあかん。お前らもっと上へ逃げろ。」
為五郎伯父は、みんながわなわな震えて見守るうちに大波に呑まれていった。
 一度、へりはじめた水は、また増してきた。どこか山崩れがおこったのか。この水で、祖父の家もとうとう流されてしまった。
 宇宮原は、殆どの田んぼや畑を流し、山林を荒らし、道をとられ、人びとは途方に暮れた。
 祖父たちが、流された家をさがしていたら、五粁[キロ]ほども川下の、林の在所まで流されていたそうじゃ。祖父たちは、何日もかけて家道具[やどうぐ]を拾い集め、かもに組んで宇宮原まで引き上げてきたということじゃ。今、わしらが住んでいるこの家の奥の間の六じょうは、そのときの家道具を使って建てたものじゃ。
 大水害があってから、きじ矢谷を郡長谷[ぐんちょうだに]、または郡長ぐえと呼ぶようになったということじゃ。

話者   宇宮原   坂本 イチ
記録   宇宮原   坂本 さだゑ
再話   大野 寿男