『紀伊山地の霊場と参詣道』とは

 光り輝く太陽に対する信仰は世界中に見られ、「南」は宗教的に最も重要な方角とされています。およそ1400年にわたって日本の中心であり続けた古都奈良や京都の南に位置し、太平洋に突き出した紀伊半島の大部分を占める紀伊山地は、すでに神話の時代から、神々が鎮まる特別な地域と考えられていました。

また、6世紀中頃に朝鮮半島を経由して伝来し、間もなく国家を護る宗教とされた「仏教」でも、深い森林に覆われた紀伊山地の山々を、阿弥陀仏や観音菩薩の「浄土」に見立て、また、仏が持つような能力を人間が修得するための山岳修行の舞台としました。

その結果、紀伊山地には、修験道の「吉野・大峯」、神仏習合の「熊野三山」、密教の「高野山」というように、それぞれの起源や内容を異にする三つの「山岳霊場」と、そこに至る「参詣道」が生まれ、都をはじめ全国から人々の訪れる所となって、日本の宗教・文化の発展と交流に大きな影響を及ぼしました。

世界遺産に登録する意義

「紀伊山地の霊場と参詣道」は、三重・奈良・和歌山の三県にまたがる「紀伊山地の自然」がなければ成立しなかった「山岳霊場」と「参詣道」、および周囲を取り巻く「文化的景観」が主役であり、日本で唯一、また世界でも類例のない資産として価値の高いものです。