■ わたしたちの村 十津川

十津川村は、紀伊半島の中央部、奈良県の最南端に位置しています。面積は約672㎢と、県の約5分の1を占める日本一広大な村で、そのほとんどは山林です。標高1,000mを超す山は実に100余を数え、この山峡を北から南へ十津川(熊野川)が流れ、これに沿って国道168号線が走っています。
十津川村は大きく7つの区に分かれ、そこに55の大字、200を超える小字があります。令和4年4月現在、人口は約3,000人、世帯数は約1,700戸で、県立高校が1校、村立中学校が1校、村立小学校が2校あります。人口が年々減少している過疎の村ですが、源泉かけ流しの温泉や、熊野古道に代表される文化財などを活かした観光業が盛んな村でもあります。
「十津川」という名称が歴史上いつから現れるのかというと、判明している限りでは、永治2年(1142)高野山文書で、「遠津川」という文字で初めて登場しています。「とんと十津川御赦免どころ年貢いらずの作りどり」などと歌われ、白鳳年間より明治の初年まで租税勅免の地でした。また南北朝、明治維新など歴史の節目にも十津川の名前が登場してきています。
明治になると、町村制施行により、旧来の55ヶ村を併せて6ヶ村に編成されました。その後、明治22年、十津川は未曾有の大水害に遭い、甚大な被害を受けました。この水害により、翌年の明治23年6月に6ヶ村が再併合され、現在の十津川村が誕生しました。
明治の大水害により、被災者の大半である約600戸、約2,600名が新天地を求めて北海道に移住し、明治23年に北海道で「新十津川村」が誕生しました。当時、北海道は未開の地であり、開拓は困難を極めました。アイヌの人々や他県出身者などの力を借りながら開拓が進められ、道内有数の米どころとなりました。現在は町制に移行して「新十津川町」となり、十津川村と今もなお深い絆で結ばれています。

 

■ 十津川へのアクセス

十津川村には鉄道がないため、アクセスには車またはバスを利用されるのが一般的です。北は奈良県五條市方面から、南は和歌山県新宮市方面から、それぞれ国道168号を利用してのアクセスがおすすめです。バスは便数が限られますので、予め時刻表をご確認ください。

『【十津川村観光協会】アクセスマップ』