十津川探検 ~わたしたちの村 十津川~
七 郷土の開発につくした人びと
上野地小学校校歌1 文化で村につくした人
(1)
野長瀬正夫
 たけし君の学校や,村内のいくつかの学校の校歌は,野長瀬正夫という人が作詞したものです。
 また,「あの日の空は青かった」「小さなぼくの家」「ぼくは歩いていく」など,野長瀬正夫が書いた本がたくさんあります。
 読んでみると,十津川村のことを書いたものが多く,ぼくはもっとこの人のことを知りたいと思いました。
 先生に聞いてみると,野長瀬正夫は日本でも有名な詩人,作家だと,教えてくださいました。
 先生は「これで調ベてごらん」と,「野長瀬正夫詩集」をわたしてくれました。


あの日の空は青かった
小さなぼくの家
ぼくは歩いていく
野長瀬正夫詩集
野長瀬正夫は,1906年(明治39年)に大字小原で生まれました。
詩が好きで,12才のころから詩を書き始めました。
17才から23才まで,村で先生をしながら詩をつくっていましたが,もっと勉強したいと思い東京へ行きました。
たくさんの詩や小説を書いて,多くの本を出しました。
特に十津川村のことを書いた詩集「あの日の空は青かった」「小さなぼくの家」などは,いろいろな賞を受けました。
1972年(昭和47年),「うつくしきもの」の詩が碑となり,山村振興センター(武蔵)前に建てられました。
1984年(昭和59年)なくなられたがいつも心に十津川を思い,書かれた詩は数えきれません。
1990年(平成2年),「ふるさと」の詩が碑となり,役場前に建てられました。

野長瀬正夫



いろいろな賞
1970年 児童出版文化賞
1976年 赤い鳥文学賞
1979年 日本児童文学協会賞
1976年 野間児童文芸賞


浦武助胸像
(2)
浦武助
 浦武助は出谷で生まれました。
 今の十津川高等学校の前身である私立十津川中学文武館の館長をつとめました。
 文武館が焼けた時,学校を村からなくしてはならないと,大いに努力しました。
 今の十津川高等学校に,浦武助の胸像があり,十津川村の教育のためにつくしたことが書かれています。



東国吉の碑
(3)
東国吉
 東国吉は永井で生まれました。ひとりでブラジルへ行き,苦労しながら40年あまり働きました。それで得たお金をふるさと十津川におくりました。村ではこのお金で診りょう所をつくったり,十津川高等学校の図書館(東記念館)をつくったりしました。

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