十津川探検 ~わたしたちの村 十津川~
五 わたしたちの村のくらしのうつりかわり
5 村の人びとの楽しみ
武蔵の大おどり
○武蔵の大おどり

 せつ子さんたちは,村の人びとが集まって楽しむものに,どんなものがあるか,考えてみました。
 運動会・ぼんおどり・宮祭り・文化祭などがあげられましたが,村のようすがかわってきているので,人びとの楽しみも,昔とはかわってきているのではないか,という意見もでました。
 そこで,おじいさんやおとうさんに聞いてみることにしました。
 やすお君は,おじいさんに,わかいころの楽しみを聞いてみました。


 おじいさんの話
おじいさん 今は,テレビがあるから,むらじゅうの人が集まって楽しむことはへったなあ。昔は,えいがやしばいがよくきたものだ。それに,地しばいといって,むらの青年団でもげきやおどりなどをして,みんなに見せていたよ。夜になると公会堂に集まって,楽しんだものだよ。ぼんおどりもそうだし,秋まつりもにぎわったな。

やすお君
 やすお君は,おじいさんの話を聞いて,村の人びとの楽しみは,今もひきつがれているものと,今はなくなったものとが,あることに気がつきました。
 やすお君は,今もおこなわれているぼんおどりについて調ベてみました。

ぼんおどり
西川の大おどり
○西川の大おどり
小原の大おどり
○小原の大おどり
 何百年も昔からつたえられているそうです。8月になると,おどりの練習が始まり,ぼんには,町へ出ている人も帰り,みんなで楽しみます。
 昔は,どこのむらでもおこなわれ,夜の明けるまでおどったそうです。
 小原・武蔵・西川の大おどりは,国の重要無形民俗文化財になっています。

せつ子さん
 せつ子さんのところでは,米のとり入れが終わると宮祭りがおこなわれます。お父さんが,「玉置祭りや河津祭りは,たくさんの人が集まるよ。」と言ったので,調べてみました。

玉置祭り
 玉置神社の祭りは,春と秋の2回おこなわれます。10月24日の秋祭りの時は,みこしが出たり,弓神楽がおこなわれたりします。
 昔は,村じゅうの人が,歩いて山を登り,おまいりに行ったそうです。
玉置祭りでのみこし
○玉置祭りでのみこし

河津祭り
 11月1日には,「国王神社」の祭りがおこなわれます。今も,昔のままの時代行列がつたわっており,たいこを打ち鳴らしながら,上野地から国王神社まで歩きます。祭りは,三役という3人の子どもが中心になって,おこなわれます。
河津祭りでの時代行列 河津祭りでの神事
○河津祭りでの時代行列と神事

年表つくり
 これまでに調べたことをもとにして,みんなで年表をつくりました。学校の古い写真を使ったり,もう一度おじいさんやお父さんに聞いたり,村の百年史を見たりしてつくりました。
 明治から大正のころは,ほとんど大字ごとに学校があったようです。つぎつぎととう合されて,今の上野地小学校になったことがわかりました。
 みなさんも,家や学校などの年表をつくってみましょう。

わたしたちのむらの100年のあゆみ
校名 年代 学校のできごと 村のできごと 交通のかわり方







1890
(明治23)

・沼田原・旭・谷瀬・長殿・上野地に学校がある。
・長殿と沼田原尋常小学校がいっしょになる。

・大水害がおきる。
・北海道へ行く。
・十津川村ができる。
1900
(明治33)
・高等科(5・6年)ができる。
 
・高等科と上野地尋常小学校がいっしょになる。









1910
(明治43)
・かいこをかうようになる。
・旭橋がきれる。
 1920
(大正9)

○乗り合いバス
・長殿までバスがくる。
・上野地までバスがくる。
1930
(昭和5)
・高津と谷瀬が上野地の学校といっしょになる。
・べんとうを持って学校へ行く。
・自家発電所ができる。
 
1940
(昭和15)
・長殿発電所ができる。






・すみやきやさつまいもうえをした。
・食べるものや学用ひんがなかった。
・せんそうが終わる。
・中学校がぎむきょういくとなる。










1950
(昭和25)

○木炭バス
1960
(昭和35)
・木ぞう校しゃがたつ。 ・国道168号線ができる。
・旭小学校といっしょになる。
・鉄きん校しゃがたつ。
・給食がはじまる。スクールバスが走る。
1970
(昭和45)
・沼田原の子どもたちがくる。
・プールができる。
・音楽室ができる。
・迫の人たちが上野地へくる。
・旭にダムができる。
・旭に発電所ができる。
・郵便局がたてかえられる。
1980
(昭和55)
・新しいつくえがくる。
1990
(平成2)

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