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4 お父さんの子どものころ
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○昭和34年折立小学校入学式 |
○教科書 |
ひろし君のお父さんが入学した時の写真です。みんな洋服を着てくつをはいています。学校は,まだ木ぞう校しゃのようです。お父さんの小学校のときのようすをいろいろ聞いてみました。
お父さんの話 |
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お父さんの小学校時代は,学校が,大きくかわるときだった。昭和38年ごろから,学校とうごうといって,いくつかの学校が,ひとつにまとめられ始めた。お父さんの通っていた折立小学校も,桑畑小学校や那知合小学校といっしよに,平谷小学校へ行くことになり,今の鉄きんの校しゃにたてかえられた。遠くの人はバス通学をするようになり,七色小学校の子どもたちは,本宮町の三里小学校へ行くことになった。
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○たてかえられたばかりの平谷小学校 |
このようにして,30校もあった小学校は9校に,13校あった中学校は4校にまとめられた。竹筒小学校の子どもたちは,熊野川町の九重小学校へ行くことになったそうだ。
その時から,給食も始められた。いろいろなおかずが楽しみで,給食の時間が待ちどおしかった。牛乳はなくて,だっしふん乳というものだった。
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○スクールバスで通学 |
○給食 |
お父さんが,6年生の時,「東京オリンピック」があり,村でもテレビを買う家がふえていった。みんな集まって,むちゅうになって見ていた。
そのころから,いろいろな電気せいひんが入ってきたし,乗用車を買う家もふえていった。ダムができたり,国道168号線が開通したり,学校とうごうがおこなわれたり,お父さんの子どものころは,村が,大きくかわる時代だったようだ。 |
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