十津川探検 ~わたしたちの村 十津川~
五 わたしたちの村のくらしのうつりかわり
6 村の昔と今
 ひろし君たちは,村のうつりかわりを調ベるため,校区に,昔を知る手がかりとなるものがないか調ベ,「むらにのこるむかしをつたえるもの」地図を作りました。
 学校のすぐ上にある水害のけいかい碑・丸瀬にある山くずれのあとをしめす碑・宇宮原で山くずれのためなくなった郡長の碑など,明治の水害に開係のあるものが多いのに気がつきました。古ル野にある水害記念の碑のことも思い出し,みんなで,明治の水害について調ベてみました。
むらにのこるむかしをつたえるもの
黒木御所跡
谷瀬つり橋
井戸
むらにのこるむかしをつたえるもの
水害のひ 国王神社
十一面観音
郡長のひ
水道のひ
明治の大水害
 わたしたちの村は,100年ほど前(明治22年)大水害にあいました。「3日3ばんふりつづいた大雨で,川はあちこちで山くずれによりせきとめられ,ダムのようになって,家や田畑をのみこんだ。」と言われています。そのためにたくさんの家がこわされ,168人がなくなりました。
 水害の碑は,水のこわさを今につたえているのです。
明治の水害の写真 水害でなくなった人の墓石
○明治の水害の写真 ○水害でなくなった人の墓石
新十津川町
あらしにあった人びと
○あらしにあった人びと
 北海道には,わたしたちの村と親子のような関係の「新十津川町」があります。明治22年の大水害で,家や田畑をうしなった人びとが,生活するための新しい場所をもとめて北海道に行き,大木のしげる原始林を切り開いてつくったところです。
 図書室に,新十津川町のことをかいた本があるので,みんなで読みました。たいへんなくろうをして,今の新十津川町ができたことを知りました。
 広びろとした土地では,米や野さいづくりがさかんに行われています。

今の新十津川のようすとじゃがいも畑
○今の新十津川のようすとじゃがいも畑

昔の道と今の道
村の地図 ひろし君たちは,自分たちのつくった地図や村の地図を見て,昔の道と今の道のちがいをくらべてみました。とくに,野尻から小原までの,道のかわりかたにおどろきました。

おじいさんの子どものころ
ほそい道
山をこえ,おねづたいについている。
お父さんの子どものころ
少し広くなっている。
川にそってまがりくねってついている。
広い道
橋やトンネルが多くなっている。

わかったこと
・歩くには,川ぞいより,山ごえの方が近い。
・昔の道は,おねにそっていたので,山の上にも家があった。
・小森は,村の中心で,役場があり,道が集まっていた。
・トンネルや橋をつくると,きょりが短くなる。
写真や資料を使って調べてみよう
 昔の写真があれば,それを使って,今のようすとくらべてみましよう。
 また,村に関係のある資料をさがして,人口のうつりかわりや,仕事のしゅるいなども調べてみるとよいでしよう。
今の湯之原 昔の湯之原
○今の湯之原 ○昔の湯之原
ダムができる前の風屋 今の風屋
○ダムができる前の風屋 ○今の風屋

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