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慶応4年(明治元年)2月新政府のもとで軍制改正がおこなわれ、親兵掛万里小路博房から郷士代表らを指命し、郷民を精選して十津川郷親兵隊の編成が命ぜられた。
同年5月有栖川宮を総督とする関東親征軍が発せられた。十津川郷兵はその壱番、弐番中隊の基幹となる。いわゆる戌辰戦争である。この軍は6月15日伏見から越後方面に向かわせられ、12月に伏見に帰還する。その間、長岡城攻防を中心に北越や会津に転戦した。郷兵207人が参戦、死傷者81人の犠牲を出した。
本書は12月19日、軍務官からその軍功を嘉せられ、一時帰郷を命ぜられたものである。 |
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