異国船の来航で諸国は騒然となった。このとき十津川郷ではその防禦のためいつでも幕府の御用をつとめる覚悟をきめた。嘉永6年(1853)9月、郷内に所持する465挺の鉄砲用の硝石合薬を谷瀬・風屋・野尻村の三か村で製造することに郷中として異存のないことを確認した。いずれ五條代官所にその製造方許可を陳情したことであろう。