十津川探検 ~十津川宝蔵文書~
大塩平八郎探索請書
   天保8年(1837)2月、大坂町奉行所の与力大塩平八郎(1793~1838)が反乱を起した。陽明学者(大塩中斎)としても名声をうたわれていたが、天保の大飢饉による庶民の困窮をみかね、蔵書を売って窮民の救済にあて、檄文を摂津・河内・和泉・播磨の4か国に配布し、幕吏の無道と豪商の腐敗を糺明、挙兵計画をたてた。これは露顕した。同志十数名と挙兵、大坂船場の商家を襲撃、市中の要所を焼き払った。蜂起は一日で鎮圧され、同志は四散した。平八郎は3月末幕吏に襲われて自殺した。
 幕府は逃亡したと噂される平八郎やその一味の探索廻状をもって潜伏先の追及にやっきとなった。本状は十津川郷惣代の要請により、前鬼山役所では部内に潜伏したおそれのないことを報じたものである。
 
 

十津川宝蔵文書へ原文へ