代官(辻甚太郎)の御順在(巡見)に対して、郷惣代は会同して御赦免を願った。近来では大屋四郎兵衛正巳[まさみ]、河尻甚五郎春之[はるの]支配のときにも先格をもって断ってきたという。休泊場所が定まらず、出水ときは数日も川留になり、米穀にも支障をきたすという理由をあげている。