宝麿7年(1757)聖護院宮の入峰にあたり、藤堂藩古市役所に正徳3年(1713)の先例を報告したもの。
上葛川村まで各組惣代が出迎え、宮や近習らに特産の椎茸を献上、同村および玉置山に宿泊のさいは同山別当の賄いであること、代官所から役人衆の出動はなかったことが知れる。