幕藩の触書は幕藩の定めた村順に回達し、留村から発信元へ返却するのを例とした。延享3年(1746)、藤堂藩預りとなってから十津川郷村々への回達はその回収を急ぎ長殿村で留めとし、長殿村で45通を書写し、それを郷内に廻達することになった。これは古格にもとるから、あくまで本紙を回達するよう嘆願したものである。長殿村に能筆者がないとの理由だが、実は本書の一見を各村が望んだといえる。