十津川探検 ~十津川宝蔵文書~
藤堂藩古市役所村庄屋交代出願定書
   寛保2年(1742)藤堂藩古市役所(城和奉行所)は、筆頭村役人である庄星の交替は、先庄屋、跡庄屋、百姓代の三人が出頭して許可をうけるよう十津川郷惣代に命じた。
 これに対し、2月6日、小村の割に庄屋の交替が多いこと、古市(いまの奈良市古市町)へは遠路で3人も出頭すれば入費もかさむので、百姓惣連判をもって跡庄屋(新たに庄屋になるもの)だけを出頭することで済せるように郷惣代が嘆願した。これに対し古市役所は、先庄屋・跡庄屋の2人か、跡庄屋と百姓代の2人が出頭することに定めた。
 十津川郷惣代は上組・下組8か組からそれぞれ選出きれ、他の大庄屋格にあたる。各村々の役人はおおむね互選で適任者が選ばれ、代官所(このときは藤堂藩藩預りであったから古市役所)の承認を得てはじめて庄屋の任についた。
 ちなみに、十津川郷では文久3年(1863)、庄屋を庄司、年寄を目代と改称した。
 
 

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