十津川探検 ~十津川宝蔵文書~
かな山開発反対陳情書
   十津川村惣代が南都代官の鉱山開発に対し、これの中止を出願したもの。さきに鉱山師福山次郎右衛門(大坂町人)の下代助九郎が樫原村くきの谷の銅山を見立て、寛文3年(1663)から2年間、開掘した。その結果、穀物のほか飯米代用の栃・樫を炭 にし、柿・栗・栢や葛・蕨のほか鮎や茶にまで鉱害があらわれ、またあぶれ者の入村で騒動がたえず、時の代官小野喜左衛門貞勝[さだかつ]に訴え、漸く閉山になったいきさつを述べるし、元禄年間これが停止された旨を記している。
 
 

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