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玉置神社(祭神は国常立尊・伊弉諾尊・伊弉冊尊・天照大神・神日本磐余彦尊)は十津川郷鎮守と仰がれ、古くは熊野三所大権現と号し、高牟婁法王寺とも称した。また熊野三山の奥ノ院との称もある。元禄4年(1691)から京都の安井門跡に属し、享保12年(1727)からは聖護院門跡に属し、その末寺となった。
とくに修験道では熊野から吉野に至る根本道場大峰75靡の1つにかぞえられた。大峰75明の靡攀を峯入といい、熊野からの峯入を順峰(百日勤行)、吉野からの峯入を逆蜂(75日勤行)という。修験道は天台宗聖護院に属する当山派、真言宗三宝院に属する本山派の両派となった。
本文書は宝永元年(1704)の造営のさい、南都代官辻弥五左衛門守誠らを迎えて正遷官をおこなった。そのとき十津川郷下組の郷士が銑砲10挺、10鑓五筋をもって警固したことに対する当山派役人らの感状である。 |
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