豊臣氏討滅の大坂の役の開戦に当り、奈良奉行中坊左近秀政が十津川郷に対し、鉄砲30挺、弓15人の軍役を課した。しかし、さきに発令した材木役は免除するという。
十津川郷は奈良奉行の支配となった。左近は挙兵を動員したが、奈良奉行配属を嫌ったか郷民は応じない。そこで左近は鉄砲と弓の45人を武士として召した。十津川郷士45人制の成立がここに示される。