後村上天皇は後醍醐天皇の皇子。正平3年(1348)正月5日、足利尊氏の権臣高師直は河内四条畷の合戦で楠正行を敗死させた。師直の進攻を予想した天皇は吉野山の防備を固めた。この綸旨は花園上庄郷人らを動員されたもの。しかし、同24日、天皇は吉野山を退去、賀名生に行宮をさだめられる。
花園上庄は十津川郷に所在、明治22年成立の十津川花園村(川津・風屋・内原・滝川・野尻・山崎・池穴)の村内と推定される。