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(25)(26)
木馬を曳くには、水平勾配または逆勾配では牛の助勢で自分も曳張りつつ右手に油筆を持って盤木に塗って滑りを良くする。(梶木に油壺がつけてある。これは左手側となる。)
牛が蠅を追うために尻尾を振ると馬子の顔に当たってうるさいので、図のように鞍に括りつけたのも見られた。人によるが、牛を虐待する者は、牛の力以上に重荷を積み、曳きかねている牛を鞭で叩く。叩かれると悲鳴をあげないまでも、後脚を強く踏ん張るため、前脚が吊り上がって棒立ちになった状態が見かけられた。また、終点に来て曳綱をはずすと、ヨロヨロとよろめいて静止できない牛も見た。
葛川谷林道の牛曳搬出は昭和25年までで、全線通行は止まって、大渡から田戸までは馬に曳かせる大八車が使われた。次いで、昭和32年全線車道になるにおよび馬が7~8頭移入され、木材運送の役割をになった。大八車になれば、足の速い馬へ切り替えたわけである。しかし、これも束の間で、下葛川の乾氏がトラックを使用するに至りて、馬は売り払われ、あたら新品の大八車が解体されたり路傍で腐朽するに至った。なお、牛曳搬出は玉置川線では昭和32年まで見られた。
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