十津川探検 ~十津川人物史~
榊本 利清
榊本 利清 明治41年(1908)2月28日、重里榊本彦三郎の次男として生まれる。
 重里小学校を卒え、文武館(現十津川高校)を経て、奈良師範学校に進み、昭和2年(1927)卒業。卒業と共に竜門小学校に赴任、教職第一歩を踏み出す。やがて重里小学校に転勤、在勤中向学心に燃え、1年間奈良師範専攻科に学ぶ。後、南生駒小学校・折立国民学校に転じ、昭和19年(1944)平谷国民学校教頭となる。昭和22年(1947)戦後の学制改革により誕生した新制中学、第五中学校教諭となるも、昭和26年(1951)病の為、止む無く退職。昭和30年(1955)十津川村議会議員に立候補初当選、以来4期16年間連続当選を果たし、その間、監査委員・文教厚生委員長・副議長等歴任し村治に尽くした。又西川第一森林組合常務理事として林業振興に、十津川高校・西川中学校の育友会会長として、中高の教育進展に努めた。
 書や和歌を能くし草山と号した。昭和45年(1970)請われて十津川高校書道講師となる。
 昭和49年(1974)和歌同好の士を集め、十津川短歌会を創始し、推されて会長となり、会員を指導し、会誌「たまかずら」を発行するなど、11年間会の発展に努めた。
 昭和50年(1975)選挙管理委員会の委員長に推挙され、9年間その職にあった。昭和58年(1983)勲六等単光旭日章を賜る。
 その他関係した多くの団体から感謝状・表彰状が贈られた。
 その生涯を見るに若き日に教職に志し、将来を嘱望されながら、不幸病のため業半ばにして倒れ、医師に再起不能とまで言われながら、不撓不屈[ふとうふくつ]の精神で病に打ち克ち、様々な困難を乗り越えて数々の要職につき、長寿と言われる年齢まで生き通した精神力には敬服のほかはない。
 平成7年(1995)7月17日、誠実・無欲・真実一路に生きた87歳の生涯を郷里にて終えた。
 生前中、平成5年(1993)、名勝“笹の滝”のほとりに短歌会一同によって歌碑が建立された。

 “天誅の志士のあわれをひびかせて
     蕭々と落つる 笹の滝水”
             榊本草山作
 

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