十津川探検 ~十津川人物史~
沼部 園春
沼部 園春 明治39年(1906)7月20日、沼部光四郎の五男として大字谷瀬に生まれる。
 谷瀬小学校(昭和6年上野地小学校へ合併)へ入学、上野地小学校卒業後、十津川中学文武館(現十津川高校)へ入学するが、やがて五條中学(現五條高校)に転校、卒業後旧制姫路高校へ進学する。
 京都帝国大学法学部入学、昭和7年(1932)3月、同校を卒業する。
 卒業と同時に農林中央金庫に入社、主に関西を中心に勤務する。
 課長・部長と昇進、遂に大阪支社長となり、昭和35年(1960)農林中央金庫理事となった。理事在任中、農林中央金庫の出資先である共和精糖株式会社が、経営不振となったが、沼部はこの時再建のため理事の中より特に選ばれて社長として出向し、約3年で会社を立て直した。
 その後共和精糖は第一糖業となり沼部は引き続き社長となった。
 昭和41年(1966)永楽興業株式会社の社長、昭和48年(1973)同社会長に就任、後財形協同センター社長となる。
 関東十津川郷友会には青年時代よりよく出席し、中畑義愛会長の時、推されて十津川村側副会長となる。
 夫人の弟吉村武氏が北海道帯広市長を務めた関係もあってか、北海道新十津川と十津川の交流親和によく努めた。
 平成3年(1991)10月より中畑会長亡き後会長となる。
 “明るくて 楽しい 郷友会に”、そして会員が“何かの時に頼りにしてみたいと思うような郷友会を”と就任の抱負を語り、会の発展に努力した。
 明るい性格で、真面目にして質実剛健、十津川郷士の末裔を偲ばせる風格を備えていた。
 病没する約3年前から体調をくずし入退院を繰り返していたが、天命には勝てず、平成10年(1998)1月11日、遂に不帰の客となった。
 92歳の長寿であった。
 

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