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明治34年(1901)6月14日、父中南忠武母げんの長男として山天に生まれる。
大正3年(1914)4月、郷校文武館(現十津川高校)を卒え、家業の林業に従事する。生家は村内有数の山林家であった。
昭和5年(1930)推されて十津川村議会議員となり、その後3期、議員として村政に尽くす。昭和10年(1935)より1期収入役を務め、村の健全な財政管理を高く評価された。
その後村の基幹産業である林業に深く関わり、十津川村森林組合連合会長を務め、十津川木材協同組合の設立に努力、理事長に就任する。又新しく組織替えされた木協の陸上貯木場「新宮出張所」「潮来出張所」の所長を務める等村の木材業界の要職につき、林業発展に大いなる役目を果たした。
昭和24年(1949)請われて助役となり、終戦後間もない世情甚だ不安定の時、村長を補佐し治世に貢献する所があった。
昭和44年(1969)第32代村長となる。
村長在任中は、
・林業近代化の促進
・道路の開設
・山村振興センターの建設
・老人医療の無料化
これは国・県に先駆けた施策として高く評価された。
・文学碑の建立
郷土の生んだ叙情詩人「野長瀬正夫詩碑」“うつくしきもの”を改善センター前に建立等治績を上げる。
昭和49年(1974)村治発展功労者として十津川村より表彰、昭和52年(1977)多年にわたる地方自治に対する功績が認められ、勲六等に叙せられ単光旭日章が贈られた。
昭和57年(1982)7月28日、病みて大淀病院にて81歳の生を閉じる。 |
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