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明治29年(1896)6月1日、長殿に生まれた。
両親は、明治22年(1889)の大水害の直後、和歌山県学文路村に移り、次いで明治37年(1904)新十津川村に移住した。
計男は農作業の手伝いをしながら小学校を卒業した。その後札幌の逓信講習所を卒え、道内各地の郵便局に勤務、のち東京の逓信局に転勤、苦学して専修大学を卒業する。卒業後、台湾銀行・明治漁業・太田屋を経て、昭和19年(1944)科学測定器等を生産する東亜電波工業会社を設立し、専務取締役となり営業を担当、大いに業績を上げた。その後会社は時代の波に乗り益々充実拡大した。昭和31年(1956)には合理的モデル工場として中小企業庁長官から表彰、翌32年(1957)社長に就任する。
社長就任後、埼玉県狭山市に研究所・工場を設立、札幌等各地に営業所を開設し、会社の発展に努め、又通信機器工業組合理事長・日本電気計測器工業会監事等を務め業界発展にも尽くした。
昭和34年(1959)には日本計測器工業会など業界の功績に対し、紺綬褒章、又昭和43年(1968)には勲四等瑞宝章を賜った。
昭和47年(1972)取締役会長となる。計男は、旧郷十津川の歴史に限りない誇りを感じ、十津川人としての自覚を持ち続け、折に触れこれを語り、文に書くことを常としていた。又移住により故郷となった新十津川町をこよなく愛し、毎年盆には帰省し、老いた母をいたわり親戚や関係者との親睦を深めることを常としていたという。また新十津川町望郷会東京支部長も引き受け、新十津川町との連絡を密にし後輩の指導育成に貢献した。
関東十津川郷友会には若いころから出席し、十津川村出身者との親睦を図り、晩年には副会長を務め、会の発展に尽くした。
文筆を好み、『77歳の遍歴・移住90周年の回想・米寿を記念して・徳富川』等を著した。
平成元年(1989)9月、93歳の長寿を保ち、苦労人として、勤勉努力の人、として真面目に生きた生涯を終えた。 |
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