十津川探検 ~十津川人物史~
東 芳子
 天保12年(1841)小山手、栃谷久兵衛の長女として生まれる。
 慶応元年(1865)24歳の時、小山手、東正喬に嫁ぐ。
 結婚後は夫には貞淑[ていしゅく]にして、よく仕え、舅[しゅうと]長兵にはよく孝養を尽くした。
 明治11年(1878)37歳の時、不幸にして夫に死別した。
 芳子は当時2歳の乳飲み子をかかえ途方にくれたが、やがて気丈にも気を取り直し、昼は山に入り薪を樵り、夜は草履を作り、少し暇のある時は人に雇われて働き、僅かの賃金を得、舅の好んだ酒や肴を買い求めこれをすすめ、舅の喜ぶ姿を見て無上の楽しみとした。
 この事はその後何年も変わることなく、日夜義父に仕え、子供を養育し、身を粉にして働き、家を守った。
 このことが府庁(当時奈良県は大阪府に属していた)に知れ、大阪府知事より賞を受けた。
 
 ☆ 賞状原文
     大和国吉野郡小坪瀬村
        栃 谷 よ 志
   夫正高生存中克ク貞實ヲ盡クシ
   且舅ニ事ヘテ孝養怠ラス七年間志
   操ヲ変セサル一日ノ如シ詢ニ奇特トス
   仍テ為基賞金弐百円下賜候事
         明治十八年二月十日
            大阪府知事従五位
                 建野郷三
(注)
・栃谷よ志→東芳子
・正高→正喬
・当時のおよその物価
 酒18リットル12銭 100銭:1円

 明治29年(1896)舅は80余歳で亡くなったが、日夜嘆き悲しんだという。
 この様を見、この様を伝え聞いた者、皆その孝心に打たれたという。
 明治35年(1902)2月、生涯その操行[そうこう]を変える事なく、61歳の労苦多き一生を終えた。
 

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