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嘉永元年(1848)今西に生まれる。年少のころより学問を好み、書を能くした。文久3年(1863)郷士と共に、京都御所警衛の任に従う。明治元年(1868)4月、伏見練兵場に入隊、同年6月北越出兵に際しては、十津川第一御親兵として、長岡に出陣各地に転戦する。9月11日奥州小荒井の役に戦傷を負い、軍事病院に入院する。12月伏見に帰営し、2年(1869)3月明治天皇東京行幸に供奉仰せつけられ東上する。同年5月函館の戦いには、十津川郷兵小隊司令官乾楯雄に率いられ出兵、5年(1872)兵制改革により帰郷する。爾来村にあって学区取締・副戸長・戸長等歴任、村治にカを尽くした。13年(1880)宇智吉野郡役所開庁に伴い郡書記となる。29年(1896)請われて北海道に渡り、新十津川村第6代村長となり、草創期の新十津川建設に大いに力を尽くした。そのため、大正8年(1919)開村30年記念式典において、旧郷出身の先輩として移住のため極力尽力された、前田正之・千葉貞幹・松村勇・中西孝則・天野源二郎・吉田三郎等6名と共に表彰され、銀杯が贈られた。
帰郷後、明治34年(1901)4月十津川村長となる。
直温は文才あり、特に歌道に秀でていた。晩年悠々自適の生活の中で、同郷の中西孝則と共に、村の由緒・名所・旧跡・故人の事績や55ケ大字夫れ夫れを31文字に詠い「十津川集」として出版、郷土意識の高揚に努めた。他に「遺芳漫詠」がある。
詠草二首
・十津川郷由緒復古
“十津川ながれもたえず大君に
つかへぞまつる むかしながらに”
・今西
“むかしたれひがしをあとにうつりきて
すみそめにけん 今西のさと”
大正14年(1925)、若くして幕末国事に従い、新旧両村長を勤め誠実に生きた77歳の生涯を生地にて終えた。 |
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