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天保13年(1842)込之上に生まれる。
元治元年(1864)御所警衛の為京に上り、その役目を果たし帰郷後、木材界に志を立て、杣職に身を投じた。以来この業界において、あらゆる辛苦をなめ、とりわけ明治14年(1881)には四国に渡り、数年間事業を営んだが、不景気の為大損害を受け、引き揚げざるを得なくなるなど辛苦を重ねた。しかしながら賀孝はいささかも屈することなく、益々志をかたくして事業に励み、遂に成功をみ、巨万の富を築いた。賀孝の如きは、正に立志傳中の人というべきであろう。
過去十津川村の各所で用いられた、人力あるいは畜力による橇(木馬)に材木を乗せて搬出するいわゆる「木馬出し」の方法は、賀孝が四国より伝えたものだと言われている。この方法は従来の搬出法より能率的で長く方々で用いられた。明治36年十津川郷木材同業組合が設立され、賀孝は推されて組長に就任し、木材業界発展に尽くした。大正10年(1921)79歳、堅忍不抜、木材にかけた夢を達成、静にその生を終えた。大字折立山崎、林業会館前に頌徳碑が建てられている。
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●頌徳碑 |
-頌徳碑全文-
生為男子不能有所益于一世則負罪于天也大矣
唯此一語以自奮成功者丸田翁是也翁専志于伐
木連材千辛万苦能成其志一而日兄弟三人同心故
有此功同心之羔不可志也此言無可啓発後人矣
翁名賀孝丸田其姓十津川込之上人家頗貧困幼
賃身浄財得則蓄以供其父酒価盖孝爰之行天姓
為然而奮然立志盡力于山林自明治十四年在土
阿二州者数年有損無益難苦特甚一而不屈不撓志
気益壮遂成今日之羔且既帰傚二州器械以便搬
出故業木材者為推組長仰恩感恵遂相謀建此碑
以示後人如翁者実精神一到金石皆透者也乃銘曰
行既美矣 業既成矣 唯日未学 一片至誠
明治卅九年七月
南岳藤澤恒選並篆額
恭堂江添鼎書
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