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他の人は知っているかも知れないが、私は知らないという意味で、他と区別して取り出していうのに用いる。
十津川ではおそらくこの「は」をつかわないで「は」のついている語の語尾をのばすか或は語尾を変化して「やー」をつける。
例 |
あの山は高い |
あのやまーたかー |
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これは何ですか |
こりゃーなんない |
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私は知りません |
おりゃー知らん |
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この海は青い |
このうみゃー青い |
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私にも下さい |
同種の事実のうち一つをあげている時つかう |
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手も足も出ない |
並列の意味を表す |
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雪が一メートルも積った |
意味を強める時につかう |
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私こそ失礼しました |
意味を強める時につかう |
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小学校の児童さえわかる |
一事をあげて他を類推させる |
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それさえあれば結構です |
それと限って他を顧りみない意を表す |
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道が悪いのに雨さえ降り出した |
添加の意味を表す |
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五時間しか寝ない |
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寝るよりほか仕方がない |
「しか」も「ほか」も限定を表す。 |
「も」「こそ」「しか」「ほか」は以上のようにつかわれ、十津川に於ても普通につかっている。 |
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子供でも知っている |
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子供だって知っている |
左の「でも」と「だって」は軽い事物をあげて他の重い事物を類推させる |
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お茶でも飲もうか |
軽い気持で動作をすることを表す |
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どこまで行くのか |
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朝まで起きていよう |
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わかるまで話そう |
以上三つは所、時、事、の終点を表す |
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八分目まで入った |
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念のためにきいてみたまでだ |
程度限定を表す |
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子供にまで笑われる |
重いものをあげて軽いものを類推させる |
「でも」「だって」「まで」は上の如くつかわれ十津川にも普通につかわれている。
然し「だって」は殆んどつかわないし、「まで」という言葉は「まーで」とのばす人が多い。 |
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どこへなりと行け |
多くの事物の中から軽いものとして一つを選ぶ意を表す |
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私になり話してほしかった |
「でも」と云う意味を表す |
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行くなり、止めるなり、早く決めよ |
事物の並列選択を表す |
「なりと」「なり」は上のようにつかわれるが十津川では両方とも「なぁーと」とつかう
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どこへなぁーと行け |
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私になぁーと話してほしかった |
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行くなぁーと、止めるなぁーと決めー |
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一時間ばかりかかった |
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できるだけ手をつくした |
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思ったほどでもない |
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腰ぎり水につかった |
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仮名ぐらいは書ける |
以上下線をひいた言葉は程度を表す |
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自分のことばかりしている |
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自分のことだけしか考えない |
以上下線をひいた言葉は限定を表す |
以上は十津川に於ても皆普通につかわれているが、「ばかり」は「ばっかし」とか「ばっかり」といい、「だけ」は「だっけ」とつかう。 |
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絵など書いて遊んだ |
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太郎なども学校へ行った |
例示の想を表す |
「など」は上のようにつかうが複数ではない。「なんか」とか「なんぞ」と云う言葉と同じ意味を表す助詞である。
この言葉は十津川ではあまりつかわれないが、これに似た言葉で「ら」を用いる。「ら」も複数ではない。
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太郎らも学校へいた |
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おれらも旅行したぁーよ |
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絵ら書ぁーてあそーだ |
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映画らみとーなぁー |
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だれにやら渡した |
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いつか行きます |
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いつかしらお逢いした |
以上の「やら」「か」「かしら」は不確実な意を表す |
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菓子やら果物やらいろいろ買った |
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菓子や果物やいろいろ買った |
以上の「やら」「や」は事物の並列の意を表す |
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父か母か参ります |
並列選択の意を表す |
「やら」「や」「か」「かしら」は上の如くつかわれ十津川に於ても普通につかわれている。
然し不確実な意を表す「やら」という言葉はあまり用いず「ぢゃったか」を用いる
「かしら」は十津川では「かしらん」とつかう
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いつぢゃったかしらん逢うた |
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どこでぢゃったかしらん見た |
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