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上湯川[かみゆのかわ]、大井谷の野地[のじ](家名)の近くに、栄宝院慈観法師のお墓がある。
およそ四百年余りの昔、どこからか一人の落武者がやってきて、このあたりを拓[ひら]いて住みついた。耳の不自由な人であったが、学問もあり、大変かしこい、やさしい人で、里人からも好かれていた。墓の主は、この人である。
以前、この付近には、野地・大屋野・文造・栗栖という四軒の家があった。毎年、慈観法師のお祭りとして、餅まきなどもしたらしい。今は、野地・一軒だけである。野地では、この法師の供養を続けており、大井谷開拓の祖として、大切にお祀[まつ]りしているようである。
この慈観法師のお墓に、穴のあいた耳石を供えると、不自由な耳が治ると言われている。昔は、遠くからでも耳石をもってお詣りしたということである。
また、この墓の近くの竹薮の中には、古い墓がたくさんある。このあたりが早くから拓けていたことを物語っていると言えよう。 |
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