十津川探検 ~十津川郷の昔話~
ツユクサの花ツユクサの花(音声ガイド)
   今西の中ほどに風呂の岡というところがある。
 ずっと昔のこと、今西に泉昌寺[せんしょうじ]という寺があったそうだ。この寺に間佐久[まさく]という坊さんがいたと。この坊さんには奥さんがいて絹糸を撚り、薄布を織るのがたいへん好きだったと。夏になると、織り上げた布をツユクサの花で染め、美しい着物に仕立てては着ておったと。
 この絹を染めるツユクサの花は、朝早く花に露のあるうちに摘まぬと、染料として役に立たぬほど、可憐でか弱い花なんだ。
 間佐久坊は、奥さんのために、今西の女たちにツユクサの花摘みをさせたと。これがまた、毎朝早くからやらされるものだから、女たちにとっては大変だったと。
 ある年の夏のこと、また、いつもの年のようにツユクサの花摘みが始まった。毎年こんなしんどいことが続くものだから、人々の不満は次第に高まっていったと。
「こう毎朝ツユクサの花摘みさせられちゃ、とてもかなわんのう。」
「何とかならんもんじゃろうか。困ったことじゃ。」
「みんな花摘みしとるが、ぶつぶつ怒りようるわよ。」
 何人か集まれば、この坊さんのやり方に不満を出し合っていた。
「こうなったら、何とかせにゃおさまらんのう。」
「そうはいうても、なかなか良い智恵も浮かばんでのう。」
「坊さんを諫[いさ]めるいうたら、よっぽど心してかからんといかんと思うしな。」
「うん、うん。それでまいっとるんじゃよ。」
 そうこうしているうちに、話は次第に険悪な方向へとすすんでいったと。
「なるもんなら、なんとかまるくおさめられんかのう。はやる気持ちは、わからんでもないが。」
「これまで、そうならんかと、みんな考えてきたんじゃよ。」
「他によい方法とかいうてもなかろう。」
「それでな、ここまできたら、こうこうしかじか………というところでどうじゃ。」
「そりゃ、ちょっと気の毒じゃないかな。」
「なら、どうせいいうのじゃ。おめえに名案でもあるというのか。」
「それがないから困っとるのじゃ。ことがここまできたら、もうしかたがなかろう。」
「そうと話がきまれば、首尾よくやることにするか。」
 このようなことで、まことに物騒なことだが、みなの話はまとまり、手分けをして、仕事に取りかかったと。
 話とは、お寺の古くなっている風呂を新調し、吉日[きちじつ]を選んで坊さんに初風呂に入ってもらおう。その機に手抜かりなく、坊さんにあの世へ旅立ってもらおうとの寸法であったと。
 そんな事情など露知らぬ間佐久坊、寺のために風呂を新調してくれるものと喜んでいたと。
 幾日かたって、風呂は完成し、坊さんに初風呂を使ってもらう日になったと。この日、若者たちは懸命に働き、日も西に傾きはじめた頃には、準備もすっかり整っていたと。
 さあ、初風呂に入ってもらおうと、坊さんを呼びにやり、快く湯に入ってもらったと。
「湯かげんはどんなもんじゃ。」
「まことに結構じゃよ。風呂は新調してもろうたし、香りもよいし、こんな幸せなことはないよ。」
「それはそれはどうもありがとう。どうぞごゆっくりと。」
 こんな話の中でも、風呂の下では、薪[たきぎ]がどんどんくべられ、やがて油断している坊さんに、地獄行きの風呂の蓋がされ、さらに若者たちによって蓋の上に大きな重石[おもし]まで載せられてしまったと。
 人々の心が読めなかった坊さんは、憐れであった。
 石川五衛門ほどの悪人ではあるまいし。ツユクサの花摘みの他にどんな罪状があったというのか。
 坊さん、南無阿弥陀仏でも誦[とな]えながら、魂は昇天したであろうか。
 坊さんの非業[ひごう]の死で奥さんの涙やいかに。
 その後、坊さんを焚き殺した場所を、風呂の岡と呼ぶようになったということである。
話者   今西   鎌塚 恒文
再話   那知合   後木 隼一

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