十津川探検 ~十津川郷の昔話~
和田渕のゴウタ口ウ和田渕のゴウタロウ(音声ガイド)
   明治二十二年の大洪水までに奥里に(大字内原)下平という家があった。家は川の近くにあった。家族が山へ出掛けてしまうとばあさん一人になってしまうんじゃ。すると、どうしてわかるのかしらんが、和田渕から一匹のゴウタロウがはみ上がってくるのじゃ。ゴウタロウは、下平の家にあがりこんで、なべに残っているイモやムギかゆやらをひっくり返しもうて食べてしまいようる。ほんでから外へ出ると八手場[はでば](手場)にかけのぼり、つるしてある干しかイモをたたきおとす。それを食いちらすと、飼っている鶏のカゴを川までまくって喜ぶのである。もちろん、鶏を追い回して遊ぶのである。とにかく、ばあさん一人だと悪さの限りを尽くすのである。
 さて、ある夏の日のことじゃった。今日もばあさん一人しかいない。ゴウタロウが家の裏に回ると、ばあさんは畑でキュウリをもいでいた。
「ハハア、おれにとられると思って、こんなとこにも作ってあるのか。」
「ばあさん、ばあさん、おれも手伝ってやろう。」
と、声をかけると、
「おの(お前)みたいな悪さばっかりするもんに手伝うてほしいことはないわい。」
「ほれ、これでも食ろうて早よう川へいね(帰れ)よ。」
と、ひねた黄色いキュウリをポンと投げてよこした。
 それでもゴウタロウには、ごちそうらしい。ボリボリ食べてしまうと、
「もっとくれ。」
と、言うた。
「あきれた 食らいびっしょじゃのうら、もう、おのにやるもんはないぞ。」
「ばあさんよ、そこのつけかごにいっぱい入っとるがいだ。」
「それはあかん。わしらの食うもんじゃ。」
「それがあに、いろうに。おれにちいと分けてくれ。」
と、言ったかと思うと、つけかごにとびついてひっくり返してしもうた。ぶち撒いたキュウリを半分食ってはほうり投げ…その早いこと早いこと。あっけにとられていたばあさんは、
「まったくおのれはよう食らうのうら。」
と、おめきもうて、えらい勢いで畑をかけ下りて来た。びっくりしたゴウタロウは、
 キャッキャッ、笑いながら下の川原へ逃げて行ってしもうた。
 業を煮やしたばあさんは、ゴウタロウをやっつける方法をいろいろ考えた。
 またまたある日。ゴウタロウは、下平のばあさんの家にのぼっていった。表に立って中に入りかけたところ、かまどの横にばあさんが座っていた。何だかうまそうな、香ばしいにおいがする。どうしようかなあと迷っていると、中からばあさんが、
「まあ、遠慮せんと入れよ。」
と、笑いかけてきた。
 これはまあ、どうした風の吹き回しかいなと、怪しんでいると、
「のう、ゴウタロウよ、なんぞ食いたいじゃろう。ここにキリコを煎ってあるよって食うてみらんか。」
 キリコというのは、もちを賽[さい]の目に切ったものである。
「ハハア、さっきの香ばしい臭いは、キリコを煎っていたのか。」
「食うてみらんか。」と言われて遠慮するようなゴウタロウじゃない。トコトコと入り込んで、右手をめっぱの中へつっこむと、キリコをわしづかみにして食うたんじゃ。もちろん立ったまんまじゃ。
「のう、おのよ、うまかろうが。」
「口の中でごろごろするわい。けんど食えんもんでもないな。」
 ぼろぼろ口からも手からもこぼしながらそう言った。
「ちょっとばあさんよ、のどが乾いてきたぞ。」
「ああ、そうか、ほんなら茶をやろう。」
 ばあさんは、すりばちにたっぷり入れた茶を差し出した。
「ばあさん、いやに黒い茶じゃのう。」
「さあ、グッと飲め、精がつくんじゃぞ。」
「そうかそうか。」
 ゴウタロウは、一息にゴクッゴクッと飲んだ。
 しばらくして、
「ばあさん、にがい、にがいぞ。」
「まだほしいか入れたるぜ、飲むか。」
「ばあさんよ、にがい、にがい、にがいぞ。」
「ばあさんよ、これは煤水[すすみず]とちがうか。ああ、にがいにがい、つらいよう。つらいよう。」
と、泣きだした。
「おお、煤水じゃあぜ。にがかろうが…。人間をあほにしくさるよってに、そがな目にあうんじゃ。」
 ゴウタロウは、「にがいよ、にがいよ。」と叫びもうて表へとびだしていった。
 煤水は、昔からカッパの大敵だと言われている。それをばあさんは、まんまと飲ませてしまったんじゃ。このことがあってから、和田渕のゴウタロウは二度と現れなんだという。
 下平家は、明治二十二年の洪水のあとに北海道へ移住して、もうかれこれ百年になる。
話者   内原   亀田 文子
再話   松実 豊繁

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