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ずっと、ずっと昔のことじゃった。
小原に肝っ玉の太い男がおった。男はあるとき、玉置越えして、南紀州へ旅をした。男が滝峠を越えて、高滝を過ぎ、玉置山の横峰にさしかかったときじゃった。
ひょいと見ると、行く手の切り株に大きなけものがうずくまって、じっと、こっちをにらんでいる。よくよく見ると、あの荒々しいおおかみが、二本の太い前脚を踏んばって牙をむき、今にも跳びかかろうとしている。男は、もう逃げだすこともならず、はらを決めると、腰の脇差に手をやって さっと身構えた。
ところが、どうしたことか、おおかみはいっこうに襲ってくるふうもない。それどころか、おおかみはときどき「ウォーン」と小さく吠えるかと思えば、真っ赤な口を開けて「ヒヒン、ヒーン」と弱々しい声をあげるのじゃ。
不思議に思った男が、そろそろ前に寄ってみて、またまたおどろいた。大きく開けた口をのぞき込むと、牙と牙との間に太いとげが突きたっている。そのとげが抜けないと、おおかみはもだえているのじゃ。
「は、はあん、とげを抜けというのか。」
男は、思いきって おおかみのそばに寄り、脇差のさやを払うと、おおかみの口の中にねじこみ、大きなとげをえぐり出してやったのじゃ。
「さあ、もうだいじょうぶじゃ。」
と男がいうと、「ヒン、ヒン」と二声三声ないたおおかみは、そのまま茂みの中へ消えて行ったのじゃった。
男は横峰を通って玉置山を越し、やがて紀州に着き、用をすませると、三日目に帰ることになった。男が九重の四滝から玉置山へと道をとり、また横峰にさしかかると、この間の切り株に、やっぱりあのおおかみがうずくまっている。
男がにっこり笑って、
「やあ、おおかみどの、もう口の方はいいかい。」
と、声をかけ、その前を通りすぎた。おおかみは、トコ、トコ、トコと後ろを付いて来る。男が玉置山を下りそめても、やっぱり追って来る。とうとう、高滝の在所の近くまで下りて来たとき、
「ウォーン」と一声、天に向かって吠えたおおかみは、そのまま今来た道を戻っていくのじゃった。
そんなことがあってからのことじゃが、村中のあっちこっちで、しきりに送りおおかみのうわさをするようになった。
「ひとりで、山越えしていたら、どこからともなくおおかみが現われて、道づれとなり、ちゃんと在所近くまで送ってくれる。」
と。 |
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話者 |
湯之原 |
羽根 定男 |
再話 |
湯之原 |
大野 寿男 |
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