十津川探検 ~十津川郷の昔話~
松之助のこと松之助のこと(音声ガイド)
   湯之原の川向こうの山の中に、栃谷[とちだに]という谷川が流れている。
 あの明治の大水害の前には、この谷川のほとりには田畑もあったし、何軒か家もあったそうじゃ。
 この栃谷に今から百五十年ほど昔、松之助という者が住んでいたそうじゃ。松之助は、いつごろからこの地に住みついたものか、妻もなければ子どももおらず、とうとうその一生を独りぐらしで終ったという。
 松之助は、顔・形が美しゅうて、そのうえに、ことば遣いも上品で、見るからに気品のある人じゃったらしい。
 松之助は、ときどき畑に出て働いたが、その様は、ほんに女のあで姿じゃったという。長いゆたかな黒髪を背に流し、まっ赤な腰巻きで下半身を包み、それは絵のようじゃったという。
 松之助は、村の衆とは親しく交わらなかったが、歯痛や腫れものを念力で治すというので、近郷近在[きんごうきんざい]からも栃谷をたずねる客がたえなかったそうじゃ。
 やがて、時が流れてこの松之助も老い、その生涯をこの栃谷で終わったのじゃが、いまわのきわに、
「わたしは、きりこ(かき餅の一種)や豆炒り、焼きなすびのような香うばしいものが大好物じゃった。わたしが死んだら、どうぞ、その香うばしいものを供えてくだされ。さすれば、願いごとの一つだけは、必ずかなえて進ぜようぞ。」
と、遺[のこ]したそうじゃ。
 村人たちは、ねんごろに松之助を栃谷に葬ったのじゃが、その後、子どもの寝小便や歯痛や腫れものなどを治してほしさに、墓前に香うばしいものを供えて祈ると、ふしぎによくきいたということじゃ。
 松之助の墓には、湯之原や小原の信心深い人びとによって墓碑が建てられ、今も参りに来る人がいるということじゃ。中十津川の年輩の人には、松之助のことは、よう知られている。
 湯之原の橋掛[はしかけ]の人が、二十年ほど前に祈祷して、この松之助の霊を呼んでたずねたら、
「今から七百年の昔、屋島の合戦で源氏に敗れた平家の残党が五百瀬[いもせ]に落ちてきたのであるが、その中に「清水」を名乗る一族がいた。わたしは、その末裔[まつえい]なのじゃ。わたしの氏[うじ]は清水、名は松之助である。」
と、答えたということじゃ。
話者   小井   天野 武春
再話   湯之原   大野 寿男

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