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山手から椋尾[むくりょう]に登る途中に、きじの森というところがある。そこに天狗の鼻擦り石があるんじゃよ。
むかしむかし、椋尾の天狗は、この石で鼻をこすって磨いたんじゃと。わしも見たことはあるが、子どもの背丈ほどの石で、その面[おもて]には、のみで刻みこんだような溝が幾本もあったのをおぼえている。
五十年以上も昔のことになるが、きじの森の近くの山から材木が切り出された。そうして、ちょうどこの鼻擦り石のあたりが、材木の中継所にされた。ところが、どうしてもこの石がじゃまになってしまい、とうとうその一部を割ってしまったんじゃ。
ある日のことじゃ、中継所に積んでいた材木のうちの何本かが突然、空中を飛んだかと思ったら、一人の職人を突き殺してしまった。石を割った職人は昼日中、羽織袴をつけて、奇声を上げて家の周りを飛び回ったんじゃ。そのかっこうは、まるで天狗のようじゃった。
あんまり不思議であるので、親方は山神のたたりかもしれんと、ていねいにお祀[まつ]りした。その晩、親方の夢の中に真っ赤な顔をした天狗が現れた。
「よくも、おれの大事な石を割ってくれたな。割った者の命をとるから覚悟しろ。」
と、たいへんな怒りようであった。目が覚めた親方は、職人たちと一緒に、あの石をそれこそていねいにお祀りした。しかし、ついに許してはもらえず、石を割った職人は狂い死にしてしまった。
それから数年たってからの話になるが、また羽織袴を着て飛び回る人が現れた。まだ天狗の怒りは解けていなかったのかと、あわてた村人が巫女[みこ]に神寄せしてもらったところ、
「われは南条に住む天狗である。山を伐られて住むところがなくなってしまった。どこかに住むところを作ってもらいたい。」
と、言ったという。村人たちは相談しあって、樫原[かしはら]の九鬼の山に祠[ほこら]をたてて祀ったところ、今まで飛び回っていた人は、ようやく正気にもどったのだった。
今も天狗の鼻擦り石は残っているが、九鬼に祀られた祠の所在を知る人は、もうわし一人じゃろう。 |
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