十津川探検 ~十津川郷の昔話~
津久(継)津久(継)(音声ガイド)
   一六一四年、大阪冬の陣の折、北山郷は、徳川幕府に反対する豊臣方につき、一揆をおこした。大将の中に、津久という侍がいた。
 一揆方は、新宮城へ攻め入ろうとしたが、失敗に終わり、山中へ逃げ込んだ者、新宮城主に殺された者、さまざまであったという。
 さて、津久はどうなったであろうか。
 津久は追手から逃れ、大野の田垣内にあった安田という家にかくまわれていたのである。しかし、ここもあぶなくなって、近くにある竹の谷の八畳敷位の洞穴[ほらあな]に、じっと身を潜めていた。(のち、この洞穴は津久の岩屋と呼ばれている。)そのうち、追手がいよいよ迫ってきたので、片川[かたこう]向う越えで、白谷の逢阪山[おうさかやま]の向うの崖[くら]に隠れた。ここなら安心と思ったのも束の間、とうとう見つかってしまった。津久は、刀を口にくわえてすぐ下の渕へとび込んだ。(この渕も津久渕と呼ばれている。)津久は泳ぎながら、
「もう、わしも逃げ隠れはせん。岸に上がるまで待ってくれえ。」
と叫んだ。なにしろ津久は、招き斬りの術をもつ剣の達人であった。追手の者たちは、岸にあげては勝ち目がないとわかっていたので、火縄銃でうち殺し、首をとった。
 追手の一行は、大野の中井家で休んだあと、焼峰[やけみね]を越えて、武蔵の井矢[いや]という家で祝杯をあげたということである。
 井矢という家はその後栄えず、絶えてしまったという。また大野の中井家も栄えない家だったという。
話者   大野   下谷 貞彦
再話     小西 良子

十津川郷の昔話へ