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竹筒[たけとう]の下[しも]の川の突き当たりに、槍折れの岩というところがあるんじゃ。
ずいぶん昔の話らしいよ。新宮の殿様が舟に槍を立てて川をのぼっていたのじゃそうじゃ。その様子を見ていた竹筒の人たちは大声で、
「槍を倒せ。」「槍を倒せ。」
と、喚[おめ]いたそうじゃ。みんなの声が聞こえたのか、突き当ての岩のところで槍を倒してから、舟は川上へとのぼっていったそうじゃ。そのころは竹筒も勢力があったんじゃろうかい。
昔は玉置神社の勢力も強かったらしい。九重[くじゅう]からずっと下まで玉置の領地であったということじゃ。
ところがある年、このあたり(竹筒)から下では、大和につくか紀州につくかで大変な争いになったことがあったそうじゃ。やはり新宮や紀州の殿様の方が力があったのじゃろう。九重から下の人らは紀州についたのじゃ。
また、竹筒と九重の境界については、ずいぶんもめたらしい。竹筒の人は谷限りにしようというし、九重の人は、谷を越えて上の丘までだという。長いこともめたが、結局、九重の人らに竹筒の人たちが押しまくられ、丘限りにされたということじゃ。
そのころ、十津川には千本槍というのがあったそうじゃが、紀州につく人々が、千本槍のうち五本抜いて持っていったときいている。
大和の領地がもっと南まであったという証拠に、和気の岩場に「大和[やまと]」という大文字が彫り刻んであるということじゃ。 |
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話者 |
竹筒 |
大平 直治 |
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大下 トシ江 |
記録 |
那知合 |
後木 隼一 |
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