十津川探検 ~十津川郷の昔話~
おとさんがダルにとりつかれたおとさんがダルにとりつかれた(音声ガイド)
   わしがまだ小娘のころのことじゃった。
 朝から弁当を持って、フジカズラ(筏を組むのに使った)を切りに山に入った父は、その日に限って、日が暮れても戻って来ん。
「おとさん、今ごろまでなにしよるんじゃろ。」
 家の者、だあれも夕飯もよう食わんと待ったが、帰って来ん。
 おかさんが、
「やっぱり、こりゃあ迎えに行かにゃあ、あかん。」
と、せっぱづまったようにつぶやいて立ち上がった。
 おかさんは、手早にちょうちんに火をつけると、このわしをうながして暗い山道へと急いだ。二人はちょっと行っては、
「おとさんヨー」「おとさんヨー」
と、まっ黒い山に向って叫びながら歩いた。やがて、親の谷へ行く道まで来たとき、
「おうい、ここじゃ。はよ、来てくれ。」
と、返事がした。まぎれもなく、それはおとさんの声じゃった。
 けれども、その声はいつもと違って弱々しくて、ただごとではないことが分かった。
「おとさん、どこじゃ。」
「おお、ここじゃ、ここじゃ、道の上じゃ。」
 声のする方の暗闇へ、ちょうちんをおかさんがかざすと、顔を引きつらせたおとさんが、黒い岩陰にうずくまっていた。
「わしは、動けんのじゃ。」
「なした、けがでもしとるんか。」
「いいや、足が立たん。腰が動かんのじゃ。」
 わしら、おなごらでは、おとさんを負うこともようせんし、途方に暮れておると、おかさんが、きつい声で
「ヨシヱ、お前ひとりでいんで、ばあさんにいうて来い。」
と、言った。
 わしは、おとろしいことも忘れ、泣き泣きひとりで帰って来て、
「ばあさん、えらいこっちゃ、おとさん、動けんようになっとる。どうしよう。」
と、泣きじゃくると、ばあさん、ゆっくりした声で、
「ヨシヱ、心配すんな。おとさんはダルにとりつかれとるんじゃ。なあに、飯を食わせたらなおる。」
と、いうと、めっぱ(べんとうばこ)に麦飯をつめ、赤いうめ干し一つと黄色のこんこづけ(たくわん)三切れのせると、うちがい(べんとうを入れてたすきがけにする袋)に入れて、わしの小さな背に結びつけた。
「さ、ヨシヱ、もう一ペん行っておくれ、この飯食ったら、おとさん、すぐ歩くわ。」
と、ポンとわしの背中を叩くのじゃった。
 わしは、また暗い山道をひとり、おとさんたちのところへやってきて、
「おとさん、飯持って来たよ。」
と、うちがいをほどいて出した。おとさんは、まるでガキみたいにめっぱの飯をたいらげ、二度三度、大きな息をすると、その場によろよろと立ち上がって足踏みして、
「もうきづかいない。」
と、いつものおとさんにかえった。わしらやっと安心して、夜道を足早に帰ってきたのじゃった。
 ばあさんも、小さい弟たちもみんな門に出て、おとさんの帰りを待っておったが、わしらが戻ったので、また家の中はにぎやかになった。おとさんが装束[しょうぞく]を解いて奥座に落ちつくと、
「あそこまで来ると、急に足がだるうなって腰の力も抜けたようになって、へたりこんでしもうた。」
と、首をかしげる。ばあさんが、
「それがダルじゃ。お前は、ダルにとりつかれたんじゃよ。そんでのう、そんなときにゃ、手のひらに米という字を三べん書いてそれをねぶるといい。それが呪[まじな]いじゃ。」
また、
「お前ら、これから遠い山へ行ったときにゃ、弁当の飯をちょっとだけ食べ残しておくもんじゃ。もしも、ダルにとりつかれたら、その飯を食べるんじゃ。そしたらすぐ楽になると昔からいわれてきたわ。」
と、教えてくれたものじゃった。
 ばあさんは、
「昔、ある旅人が食べものもなくなり、疲れ果ててとうとう山の中で死んでしもうたが、その怨霊[おんりょう]がダルになったんじゃ。」
とも言うておった。
話者   小井   天野 ヨシエ
記録   湯之原   大野 寿男

十津川郷の昔話へ