十津川探検 ~十津川郷の昔話~
ダルにとりつかれたダルにとりつかれた(音声ガイド)
   今から五十年余りも前、わしが若い頃じゃった。
 たしか、あれは六月じゃった。在所の仲間と二人で白谷ヘアメノウオを釣りに行ったときじゃった。
 朝、まだ夜が明けんうちに湯之原をたって、湯の谷を通り、武蔵の在所へのぼり、焼峯[やけむね]を越えて大野の在所へ下り、また谷を渡って山越えし、白谷の飛び渡りへ下りたものじゃった。まあ、ざっと五里(約二十キロ)ほどの山坂道を歩いたものじゃ。
 この日は雲具合も水加減もよかって、まっこと、よう釣れた。あんまり釣れるので、時のたつのも忘れて、どんどん奥へ入ったものらしい。二人がやっと気がついたときには、すっかり日もかげって、もう夕方じゃった。
「こりゃあ、たいへんじゃ。はよ、あがらんと、よういなん。」
 二人はあわてて、魚の始末もそこそこに、朝来た山道を戻り始めたものじゃった。ころげるようにして、二人はものもいわずに走ったものじゃ。それでも、やっと、武蔵まで戻ったときにゃあ、もう、とっぷり日が暮れておった。あと一里余りじゃと、ずっしり重いぼうつり(びく)を肩にゆすりあげて歩きつづけたんじゃ。湯の谷を過ぎて、二つ丘を越えると、やっと湯之原の燈がちらちら見えだした。
「やっと来たぞ、あと一息じゃ。」
と、わしが声をかけたそのとき、どうしたことか、わしの足が動かんようになった。足を前へ出そうとすると、こんどは腰の力が抜けて、その場にへたへたっとへたりこんでしもうたんじゃ。後についておった仲間が、
「おい、どうした、おい。」
と、わしの背中をゆするのじゃが、もうどうにもならん。
-ははん、これじゃな。ダルにとりつかれるというのは。-
 わしは、仲間に
「すまんけんど、おれのうちへ行って飯をもらってきてくれ、おれはダルにとりつかれたらしい。動けんよ。」
と、頼んだ。仲間はあわてて家に走り飯を持って迎えに戻ってくれたんじゃ。わしは、飯を口いっぱいに押し込んだものじゃ。
 そして一息ついたら、わしは、さっさと帰ってくることができたよ。
 わしがダルにとりつかれたのは、湯之原のつい下[しも]まで来てからじゃった。今でも、このときのことを思い出すと不思議でかなわん。
話者   湯之原   羽根 定男
記録   湯之原   大野 寿男

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