十津川探検 ~十津川郷の昔話~
けちんぼと山女けちんぼと山女(音声ガイド)
   昔、一人の樵[きこり]がおった。この男、村一番のけちんぼうで、名を知らないものはなかった。男は、かねがね、働き者で飯をあんまり食べない嫁はいないものか、と探していたという。
 ある日のこと、男が山から帰ってみると、家の中から何やらプーンといいにおいがした。「あれっ、おかしなこともあるもんだ。」といぶかり、戸を開けて中をのぞくと、見たこともない女が、台所でかいがいしく働いていたと。ポカーンとして女の後姿をながめていたら、ひょいとふりむいて女がニカリと笑った。そして、「お前さん、よう働いて飯をあんまり食わん嫁さんを探していたらしいから、今日からわしが来たんよ。」と言う。
 こういうことで、この女と夫婦[めおと]となったのであるが、まことに良く働く女で、飯もほとんど食わんかった。男はほくほくしていた。
 ところが、男は妙なことに気がついた。女が来てから数日しかたっていないのに畑の野菜が急になくなった。池に飼っていたコイも少なくなっている。
「お前、知らんか。」と聞いても
「わしは知らん。サルがもっていったんだろう。トンビがさらっていったんだろ。」
というばかり。
 そこで男は、山へ行くふりをして、そっと台所をのぞいてみた。
 そこで男がみたものは……。
 なんとなんと、女は大なべ一杯に、大根とコイをみそだきにして、もう一つのかまどには、いつ、からうすでついたのか、大がま一杯に飯を炊いている。さて、どうするのか見ていると、女は耳まで裂けた大口を開けて、湯気のいっぱいたっている飯やら大根をどんどん口へほうり込んでいる。何しろ男は「けち」の上に「ど」がついたような男だから、いきなり台所へとびこんだ。
「お前、よくもおれをだましたな。こんな大食らいだとは知らなんだ。むだ飯食いに用はない。とっとと出て行け。」と、どなりつけたんだと。
 なんと女はまだ口をもぐもぐさせて、それでも、ニカリと笑って、
「ええとも、出ていってやるよ。だがひとつだけ頼みがある、聞いてくれるか。」
「あつかましい奴だ。ただ飯を食うて、まだ頼みごとがあるというのか。だがな、食いもんは一切れも一粒もやらんぞ。」と、おめいた。
「あいかわらず、どけちな男じゃ…。頼みというのはな、わしが背負う大おけを作ってほしいんじゃ。ちゃんとしょいなわもつけてな。」
女は、ニカニカ笑いながらそういった。
 男は、おけくらいお安い御用だ、大飯をくらわれるよりましだ、と思って、早速、おけづくりにかかった。
 材料があったので大おけはじきにできあがった。
「さあ、これをせったら負うて早よ、どこそへ行ってくれ。」
と、できたおけを女の前につき出すと、女は、やにわに男のえりくびをつかんだ。
「なにをしくさる。」と、手をふりはだこうとしたが、もうその時は遅かった。女は、見上げるような大女になって、男をひょいとおけの中につかみ入れると、
「みやげがいるんでな。」と、いった。女は、かけるような速さで山の中へわけ入った。なにしろ大股で歩くもんだから、その速いこと速いこと、あっという間に自分の村が見えなくなった。これはえらいことになった。こいつがうわさに聞く山女に違いない。男は揺れるおけの中で生きた心地もしない。
 そのうち雷が鳴りだした。雨も降ってきた。大粒の雨である。山女はおれをどうしようとするのだろう。食おうとするのだろうか、そう思うと、ますます心細くなってきた。
 やがて、おけの中に雨水がたまり始めた。すわっている男のへそのあたりまでたまってきた。水の冷たさと恐ろしさに歯がガチガチなった。山女は歩く速さを一向にかえようとしない。水が大部たまって重いはずだが、えらい馬力である。
 一体どこらへんだろうか。おけの中でのびあがってあたりを見ると、一度しか来たことのない遠い山であった。そのうち山女はバシャバシャと谷川を歩きだした。ふいに山女は、
「おい、どけちよ、わしの家はもうすぐだ、わしの子どもが腹をすかせて待っているだろうよ……」
そして、「ケケケケ」と笑った。男はぞーっとした。
「やっぱり、こいつらに食べられるんだ。なんとかしなければならん。かといって、このおけの中、どうしようもないなあ。」
 男は、おけの中で空中をにらんでおった。いい考えもなく雨にうたれている男の目に、ぱっと見えたものがあった。あれはなんだろう、のびあがってよく見ると、それは、谷をまたいでのびている藤カズラであった。ワラをもつかむ思いであった。
 そのつぎにもあるかも知れない、谷わたり藤を目を皿のようにして探した。女に、そんな気持ちをさとられないように必死で前方を見つめていた。あった。一かばち(八)か。山女が藤カズラに近づいたとき、よし助かる方法は、これしかない。のびあがって、しっかり藤カズラをつかんだ。そして魚のように、するりとおけの中から脱けだした。
 山女は、男が抜け出たのも知らずにズンズン先へ行ってしまった。
 やれやれ。谷わたり藤にこうもりのようにぶらさがっていた男は一刻も早く逃げなければと考えた。地上に降りるが速いか、駆け出した。といっても、道のないやぶをかきわけて進むのだから、たやすいことではない。それに雨はいぜんとして降りやまない。
 男は時々立ち止まった。そして、じっと耳を澄ませた。ザーッという雨の音だけだと安心して進んだ。しばらくして立ち止まる。今度は、確かに人の声がする。男を探している山女たちの声である。あわてて、あたりを見回すと藤カズラの下がった山ももの大木があった。とっさにそれにしがみつくように登った。下が見えないくらい葉の茂った場所までたどりついたとたん、下にどやどやと人が集まった様子である。
「まったく、あのどけちも命はおしいらしく、逃げ足の速い奴じゃ、ちくしょう。」その声は確かに山女である。
「おっかあ、うまそうな男だと言っとったのに……。」
「エイックソッ。この雨で人のにおいまで消されてしまったわい。よし、心配するな。あの男は今夜ごちそうしてやるぞ。わしがあの男の家を知っとるからな……。」
「おっかあ、もうその姿では男の家へは行けまい。」
別の子どもの声である。
「なあに、簡単なことだ。あの家の煙り出しからクモになって自在[じざい]をつたって降りていけばいい……。たやすいことじゃ……。」
「おっかあ、ほんじゃ暗くなってから出かけようか。」
山女の子どもは三、四人らしい。がっかりしたような足どりがしだいに遠のいて行った。男は、ほっとした。しかし これからが大変だ。あいつらは今夜やってくる。しかも、クモになってやってくるという。男は一計[いっけい]を案じた。
 夕飯を早目に食べて、ねむい目をこすりこすり、クモはまだか、クモはまだか、と待っていた。大きなほたをくべてトロトロと火はいろりに燃えている。
 真夜中ごろ、男は自在をつたって、降りてくる四匹のクモを見つけた。とうとう来たな。男は手で払いのけようとした。先頭の大きいクモが山女に違いない。そのクモをよく見ると、男はびっくりした。死んだ母親の顔そっくりなのである。男はひどく迷ってしまった。もしかしたら母親の魂[たましい]がクモになって現われたのかもしれん。山女ではないかもしれん。男はそう思った。そうとなれば火の中へ落とすわけにもいかん。クモはどんどん降りてきた。そのとき男は、クモがちょっとニカッと笑ったような気がした。
「くそっ、やっぱり。」
そう叫ぶと、つかむが早いか、火の中へ投げこんだ。後に続いているクモも火の中へ投げこんだ。クモは火の中で、声もなく消えていった。
 このことがあってからである。十津川村では「谷わたりの藤」を切ってはならないといわれだしたのは。また、夜、出て来るクモは「親に似ていても殺せ。」、と言われるようになった。

 ところで、この男がそれから後、けちんぼうでなくなったかどうか、とんとわからん。
再話   松実 豊繁
(「十津川」から)

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