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松柱の弁天さんのつい(すぐ)下に、大きなガマ(ふち)があるんじゃ。うん、ガマちゅうのはな、なめた(つるつるした岩)の滝つぼのことじゃ。このガマ、じげ(むら)のしゅうはタンノクチガマちゅうとるんじゃ。そうじゃ、そこらへん、谷ノ口ちゅう地名で、そんで、そういうんじゃろ。
ほんで(それで)じゃ、このガマにゃあ、ずっと昔から、ひょんげな(きみょうな)話があるんじゃ。
むかし、菊屋ちゅううちの守子[もりこ](子もり)がの、ガマの上で木をこっとった(切っていた)んじゃ。
守子は、うっかり手をすべらして、持ってたナタ落としたんじゃ。ほたら、ストン、ストン、ドボーン、あっちゅう間にナタはガマん中いしずんでしもうた。
さあ、えらいことになってしもうた。このまんまいんだら(帰ったら)、せちがあれるじゃろ。(しかられるだろう。)かちゅうて(とはいっても)、きしょくわるうて(気味わるいので)ガマへはよういかん。
守子は、うろうろ(うろたえて)しもうて思案したんじゃが、とうとう腹決めてさがすことにしたんじゃ。守子は、そろ、そろ、ガマん中いはいっていったんじゃ。ほたら、どうじゃろ、ガマのずっとおくにな、頭のまっ白けのじいさんとばあさんが、ゴロゴロ、ゴロゴロ、ひきうすで麦粉[むぎこ]ひいとるんじゃ。守子はぶるぶるしもうて、そばへいてわけをいうとな、だまっとったじいさんが、ギョロリッとこっちむいて、
「おまえのおとしたナタはこれじゃろう。二度とおとすでない。」
いうて返してくれたんじゃ。守子が、喜びかえって(よろこんで)、いのう(帰ろう)としたら、ばあさんが、
「右の道、いったらあかん、それはハコズルのふちへ行く道じゃ。左もあかん、そっちは、スイジンギ(水神さまのサカキの大木)へ行く道じゃ。おまえさんがいぬのは、まん中じゃ。」
いうて、おしけて(教えて)くれたんじゃ。
守子は、おしけてもろうたとおりにびりくそ(力いっぱい)に走ったら、やっとやっと、いについた(帰り着いた)ということじゃ。
守子は、三日ほどかかったという気じゃったのに、じげのしゅうにいわせたら、なんと三年も探して見つからんよってに、もう死んだんじゃあぜ(死んだんだろうぜ)と、あきらめかけよったんじゃと。
守子がガマん中で見たちゅう(見たという)じいさん、ばあさんはな、ほんまは主のグチナワ(ヘビ)じゃったんじゃと。
ハコズルにもスイジンギにも主がおるいうことじゃが、そこらも、タンノクチガマの主の領分でな、主はハコズルへいたり、スイジンギへ出たり、ガマへいんだりしとるんじゃろ。
なんでも、まっ白いグチナワで、五寸丸太(直径十五センチの丸太)ぐらいあって、ふたひろ(三メートルほど)の長ものじゃちゅうことじゃ。
じげのしゅうは、
「主をおこらせたら、どがあな(どんな)おとろしいことん(おそろしいことが)、おこるか知れん。」
いうて、タンノクチへは、めったなことにはいかんのじゃ。まっこと(ほんとうに)、きしょくわりいはなしじゃて。 |
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話者 |
大谷 熊吉 |
採集者 |
林 宏 |
再話 |
大野 寿男 |
(日本標準社刊「奈良の伝説」から) |
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