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わしが、六十年余り前に聞いた話じゃがな。
わしが湯之原[ゆのはら]で生まれた子供の頃、じいさん(当時八十四才)から「人間は生まれた時に、いつ頃死ぬかということが、神様に決められているんじゃ。」と、聞かされたものじゃ。
昔、ある家の主人が、遠くへ出稼ぎに行っていたが、
「ぼつぼつ、子供が生まれる時期じゃあ。ちょっと帰って見んことにゃ。」
と思い、一日の仕事が終ってから帰ることにしての。
夜通し歩いて帰る途中、雨にあってしまった。雨をさけるところはないか、と探していると、ちょうど、近くに地蔵さんをまつったお堂があったんじゃ。これは助けの神だ。良い所があったと思い、
「どうか、お地蔵さん、しばらくの間、雨やどりをさせて下さい。お願いします。」と、手を合わせ、そこで雨やどりをしたわけだ。そのうちに仕事のつかれも出たのか、つい、うつらうつらしてしまったんじゃと。どれくらい時間がたったかわからんかったが、話し声でふと目が覚めてしもうた。こんな時分に、今ごろだれだろう、と耳をすますとな、なんと、自分がもたれかかっている地蔵さんと、外にいるだれかがしゃべっているんじゃよ。
「できたわよう。」
外のだれかが言う。すると、お地蔵さんが、
「そりゃ良かったな、庚申[こうしん]様。」
と言う。また、庚申様が、
「うん、夜明けにできたが、男の子でなあ。五歳の七月七日十二時に、ごうらご(かっぱ)にやることにしたわよ、お地蔵さんも一緒に行くかね。」
「いや、今日、わしはふいのお客があってな。いけんわよ、すまんが庚申様一人で行ってくれんか。」
「そうか、じゃあ、わし一人で行ってくる。また、その男の子のようすを知らせることにしよう。」
と言って、どこかへ行ってしまったようすじゃ。
うつらうつら聞いていた主人が、ねぼけまなこであたりを見ると、夜が明けていたそうじゃ。
さて、今のことは、ひょっとすると俺の子供が生まれたのではないかと心配になり、お地蔵さんに手を合わせるのもそこそこに、一生懸命、家に帰ったんじゃ。着いてみると、丁度地蔵さんの所で聞いた頃に、男の子は生まれておった。さあ大変、生まれたことは嬉しいが、五歳の七月七日十二時が心配でならなかった。なんでも、この日を守らなきゃならんと、村の庄屋に相談したところ、庄屋さんは非常に心配して、村の代表者を集め、話し合ってくれたそうだ。
「よし、地蔵さんの所で聞いた話の五歳の七月七日は、村中総出で川原で御馳走をし、男の子を真中に置いて、酒盛りをしよう。そして、ごうらごの来るのを待ってみんなでやっつけよう。」
と相談がまとまった。
いよいよ、五歳の七月七日がやって来た。するとな、子供はいつとなく川へ行きたがる。どうしても言う事を聞かない。庄屋は、
「それでは皆の衆、申しあわせのとおり。」といって川原へ行き、車座[くるまざ]になって、酒盛りをはじめた。
しばらくすると、きれいな女が、どこからとなく現われた。庄屋は、
「これが、ごうらごだ。」と直感した。
「娘さん、よう来てくれたのら。さあ、一ぱい飲んでくれ。」
と酒をついで出すと、さも嬉しそうに頭を下げ、おいしそうに一息で飲んだ。
つぎつぎと村の衆も酒をついだ。そうしている内に、ついに十二時は過ぎてしまった。女は、村中の人達と時間のたつのも知らずに酒を飲んでいたことに急に気づき、
「ああ、しもうた。十二時が過ぎた。仕方がない、残念じゃが帰ろう。」
と言って、ふらふらしながら女の姿のままで水の中に「ザンブ」ととびこみ、そのまま姿を消してしまったんじゃ。
その子は庄屋のとんちにより、命は取られず、長生きしたそうだ。 |
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話者 |
湯之原 |
宇城 源吉 |
記録 |
小井 |
天野 武春 |
再話 |
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玉置 辰雄 |
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