十津川探検 ~十津川郷の昔話~
剣客中井亀二郎剣客中井亀二郎(音声ガイド)
   わしら、子供の頃にゃ娯楽らしいものは、何ひとつなかったわ。それじゃから、年寄りから昔ばなしを聞くのが、たったひとつの楽しみじゃった。わしらのじいさんは、ようこんな話をしてくれたものじゃった。

 昔、池穴[いけあな]の中原という在所の川向こうを西熊野街道が通っていた。それは、山崎から小森・平谷へと通ずる道じゃった。その街道の途中に、「はねおき谷」という小さな谷があって、谷のそばの道下にひとかかえもあるバベ(ウバメガシ)の大木が立っていたのじゃ。そのバベは、目がくらむような崖の上に、さしでたようなかっこうで幹を伸ばし、その二十間(約四十メートル)の真下は、中原川の谷底じゃった。
 ある日のことじゃ。この街道を中井亀二郎先生ら一行が通っていたのよ。今しも、そのバベのそばを一行が通り過ぎようとしたときじゃ。先頭を歩いておった先生が立ち止まって、
「おいおい、拙者[せっしゃ]、これより、このバベに登ってみせよう。」
と言い出したものじゃから、みんなは、口々に
「とんでもない。もし落ちたら命がいくつあっても足らん。」
と、あわてて止めたのじゃが、先生はさっさとそばにあった五貫(約二十キロ)ほどもある大石を片手に差し上げると、下駄ばきのまんま、
「エイ、エイ、エイ。」
気合もろともバベの大木に登り、木の叉にその石をのせると、なにごともなかったような顔をして戻ってきた、という。それは、とても人間技とは思われず、一行はどぎもを抜かれたということじゃ。
 それから後、そこを通る人たちは、バベの叉にすえられた石を見ては、先生の神技におそれ入ったという。
 そのバベも、長い歳月の移り変わりの中で、いつしか枯れ果て、あれから百年余りたった今は、もうそこにはない。
 ご維新の後、先生は文武館に招かれ、生徒に剣術を教えたことも有名な話じゃ。
 先生は、だれよりも度胸があったし、達者な腕前じゃったから、どこの藩士にも剣をとって負けたことはなかったといわれたものじゃ。
 ご維新のとき、この十津川には、先生のような勇ましい郷士がおおぜいいて、京の都に参じて御所の守りについていたものじゃった。
 この中井亀二郎先生は、滝川の奥の栗平で生まれた、十津川郷きっての剣客じゃったという。
話者   山崎   中畑 ケサノ
再話   大野 寿男

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