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上葛川というところは、大きな岩がごろごろあって、夏ともなれば、そのまわりに青あおとしたクズカズラ(クズのつる)がいちめんにしげっている……そんな村である。
むかし、むかし。この村のおかには、いったいいくつなのかわからない一人のばあさんが住んでいた。ばあさんは、このあたりをまるでじぶんの庭のようにしてくらしていた。村の人たちは、葛ばばとよんで、たいへんおそれていた。
ある年のこと、山伏すがたの一人のわかものが、この村へやってきた。この村は、山伏たちが大峰山[おおみねさん]へ行くとちゅうの笠捨山[かさすてやま]のふもとにあった。そのころ笠捨山には、えたいの知れないおそろしいものがいて、だれもこの山をこえていこうとするものはいなかったそうだ。このことを知ってか知らずか、わかものはつかれも感じないように元気よく歩いていた。
とつぜん、「そこを行くお人よ。」と、よびかけたものがいた。見ると、つえをついたしらが頭のばあさんが、道ばたに立っている。
「おまえさんは、大峰に行くつもりか。」
「はい、そうです。」
「とちゅうの笠捨山はおそろしい山だ。おそろしい目にあいたくなかったら、ここから帰れよ。」
「…………。」
「もどれよ。あの山をこえたものはおらん。」
「……いいえ、もどる気はありません。こえるつもりです。」
「……そうか、どんなことがおこっても知らんぞ。」
ばあさんは、坂道を登っていくわかもののすがたをじっと見おくっていた。
山道はだんだん細くなり、道には厚く落ち葉がつもり、おまけにしめっていて、すべりやすくなっていた。道のかたがわは深い谷になっており、山がわからは草がおおいかぶさり、ときどき道がわからなくなるほどであった。聞こえていた谷川の音も、いつのまにか山にすいこまれたかのように聞こえなくなった。
それに、鳥の声も風の音もじっと息をつめたようにあたりはしんとしていた。
草をかきわけて進む音だけが、やたらにあたりへひびく。やがて、今までまったくなかったきりが、音もなくわかものの行く手を流れだし、目の前が見えないくらいになった。そのとき、わかものは、なにかにどこからか見つめられているように感じた。もうじき山をこせるのだろうか。からだがあちこちいたむのは、小えだや草で切ったからだろうか。そんなことを考えつつ足もとをさぐっていると、きゅうにからだが、くさりでしばられたようになり、動けなくなった。そのとき、聞いたこともないようなぶきみなさけび声が山やまにひびいた。そして、岩石がぶつかり、ころげ落ちる音や、大木がメキッメキッとおれる音などが近づいてきた。わかものの足は根がはえてしまったようで、一歩も動かせない。耳の底で心臓がドンドンなっているのがわかる。声はまったく出せない。なにげなく見あげたきりの中に、わかものよりもずっと上の高いところで、二つの目のようなものが光っているのが見えたとき、山がくずれるのかと思うほど大きな音がして、いなずまが走った。そして、あの目のようなものがぐっとわかものに近づいたとたん、からだじゅうから力がぬけて、気をうしなってしまった。
それからどれだけ時間がたったのか、ふと気がついたわかものはいちもくさんに、さっき登ってきた山道をかけおりた。きものをあっちこっちにひっかけて、ぼろぼろになるのも知らず、なにかに追いかけられているような気がして、必死になってにげたのであった。
さて、このわかもののようすをどこからか見ていたのであろうか。道ばたにへたばりこんでいるわかもののそばに、あのばあさんが、またあらわれ、
「おまえさんは、どうしてもあの山をこえたいのか、それとも、もう帰るつもりなのかな。」
と、たずねた。わかものはあらい息をしながら、
「はいっ、どうしてもこえたいのです。でも、どうすればあの山をこえられるのでしょうか。」
じっとわかものを見つめていたばあさんは、
「それほどの気持ちを持っているのならば、よいことを教えよう。まず、このあたりにはえているクズカズラをたくさん集めるのじゃ。それを水にさらし、たたいてすじを取り出し、けさ(お坊さんの衣の上にかけるもの)を織るのじゃ。それをかけて登れば、きっとこえることができようぞ。」
と、ゆっくりいった。
わかものは、さっそく教えられたとおりクズカズラをかり集め、谷川の水にさらした。そして、コンコンとカズラをたたいて、すじを集めた。コンコンとうつ音は、毎日毎日、葛川じゅうにこだまのようにひびいた。わかものの手にはいくつものまめやひびができた。ひびからは血がにじむようになった。
何か月かのちに、とうとう織ったこともない布を織って、ぬったこともないけさをぬいあげた。
クズカズラのけさをかけたわかものは、ふたたび笠捨山をめざして登っていった。
やはり、まえと同じようなことがおこった。きりが流れだした。しかし、こんどは歩けた。まるで、足が地面にすいついたように重いのだが、気持ちをしっかりさせて、きりをはらいのけるように手をふって、ひきずるように一歩一歩登っていった。そのときである。なまあたたかい風がふきだしてきた。と、山やまがさけてしまったかと思うほどの地ひびきがして、きゅうにわかものの行く手のきりの切れめの中に、大きな白ヘビのからだが現れた。どれほどの大きさか、けんとうもつかない。
でも、わかものはにげない。見つめていればおそろしくなるので、目をつむって一心にいのりつづけた。ちょうどクズカズラのけさでからだをつつむようにして、じっと動かずいのったのである。
どのくらい時間がたったのだろうか。ぶきみな音もいつのまにかきえて、わかものは海の底にいるようなしずけさを感じた。ああ、助かったのだなと思ったしゅんかん、バアァアーンというものすごい音が頭の上でおこって、わかもののからだは、はげしく地面にたたきつけられた。
しばらくして、わかものが気をとりなおしてあたりを見わたすと、きりも風も、そして、あのおそろしい白ヘビもきえていた。でも、まるで大あらしのあとのように木々はおれ、草ぐさはたおれていた。わかものは、このけさのおかげで助かったのだ、としっかり手ににぎって、いのるように笠捨山をこえ、大峰山をめざすことができた。
白い大蛇は、山を七まきもするほど大きかったそうだが、クズカズラのけさの力によって、頭、胴体、尻の三つに切れて、それぞれ三つの方向に飛んだといわれている。そのうちの胴体は、今の下北山村の池峯に落ちて明神池[みょうじんいけ]をつくったそうである。
このヘビがいなくなったあと、葛ばばも上葛川からいなくなった。上葛川にはふろの谷という谷があるが、これは葛ばばがおふろにつかった谷だそうである。
そして、この谷のすぐ近くに葛ばばの住んでいたおかがある。ここには、葛ばばがおふろからあがってきて夕すずみをしたという、たいらの大きな岩がのこっている。ばあさんはこの岩の上から、上葛川へ登ってくる人をながめていたのだろう。ばあさんの住んでいたあとには、秋ともなれば、ブドウのふさのようで赤むらさきのクズの花がさきほこって、おかいちめんがあまいかおりでいっぱいになる。 |
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(日本標準社刊「奈良の伝説」から) |
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