十津川探検 ~十津川郷の昔話~
豆と天狗豆と天狗(音声ガイド)
   上葛川のうら山に天狗ぐらとよばれているところがある。そこは、岩がかべのように高く立っていて、今にもガラガラッところがり落ちてきそうである。
 むかし、むかし、この天狗ぐらには、たくさんの天狗たちがすんでいた。たいへん悪さをする天狗たちで、空を飛んだり、すもうをとったり、そうかと思えばうちわで風をおこす競争をしたり、けんかをしたり、ふざけあったりして……そのたびに岩が落ちてきた。なかにはおもしろ半分に大きな石を、あっちの畑へドスン、こっちのたんぼへドスンと投げ落とすものもいた。岩や石が落ちるたびに、あたりはじしんのようにゆれる。人間の力では、どうすることもできない岩や石ばかりで、せまい畑やたんぼはますますせまくなった。いつ岩が落ちてくるかわからないので、仕事もおちおちしておられない。村の人たちは、地面にめりこんだ岩をながめては、ため息をつくばかりであった。
「これでは、外へ出てはたらくこともできん。」
「いったい、どうしたもんじゃろう。」
 村の人たちは、何日も何日も相談をした。そして、とうとう天狗たちにおねがいに行くことにした。
 ある日、田畑でとれたものや酒などをいっぱい持って、天狗ぐらまでおそるおそる登っていった。そして、集まった天狗たちにおみやげをわたしてから、
「天狗さん。畑でこの大豆が芽を出すまでは、どうかあばれるのはやめてくれろよ。おそろしいてかなわん。」
と、たのんだ。大豆を受け取った天狗たちも、それくらいならどうってことはないだろう、ということで、こころよくひきうけてくれた。
 しかし、十日たっても二十日たっても、まいた大豆の芽が出ない。それもそのはず、わたした大豆は、いってあったのだから、いくら待っても芽が出るはずがない。天狗たちは、きょう出るか、あす出るかと、山の上で待っていたのだろうが……。
 このことがあってから、天狗の悪さはなくなり、じしんがあっても小石一つころがり落ちてこなくなったそうである。村の人たちは、節分の夜、とっても注意して大豆をいる。生の大豆が、なべから飛び出て芽を出しては、たいへんだからだ。大豆をまぜるにも、かたいしゃもじでなく、やわらかいわらや小さなシュロのほうきで、そろそろとまぜるのだそうだ。
 上葛川に行くと、田や畑、それに家の近くにまでたくさんの大きな岩がある。その中の、ある岩はたたみ八枚がしけるほどである。ぜんぶ、天狗が落とした岩だそうだ。
(奥吉野の山地には「天狗ぐら」というがけがたいへん多い。十津川村の笹の滝、高滝などの岩壁はふだんは白っぽく見えるが、赤くそまって見えるときは、天狗さんが来ているのだといってこわがる。)
  松実 豊繁
(日本標準社刊「奈良の伝説」から)

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