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明治初年の廃仏毀釈[はいぶつきしゃく]のために、現在、野瀬見[のじみ]に寺はない。そのため、この伝説に出てくる坊さんの名前も年代も、わかっていない。全く謎である。
むかし、むかし この村の一人の男が、ふっといなくなった。そして、十数年ののち、この人は坊さんとして帰ってきた。どこで坊さんとしての修行をして来たものか伝えられていないが、とにかく、この野瀬見の寺に住まわれた。
ある年のこと大変な飢饉[ききん]に襲われた。作物は全く実らず、とちの実、おいもち(ひがん花)、葛の根、からすうりの根を掘り、松の皮まで食うありさまであった。やがて、それらも食い尽くすと、あちこちに死人が出始めた。どこの、だれともわからぬ者が、道ばたに倒れていることもあった。
このような様子を見たこの坊さんは、何を思ったのか、
「私は、定に入[い]る(僧が死ぬこと)のだ。」
と、言い出し、村人に、寺から少し離れた丘に、深い穴を掘ってくれるように頼んだ。やがて穴は完成して、何と、その中に坊さんが入るというのである。そして、
「私は、人々の苦しみを救いたい。私は、この中で錏[かね]をたたきながらお経をあげるが、この竹筒から錏の音が聞こえなくなったら、私が定に入ったと思ってくれ。」
と、言い残して、穴に入った。穴は埋められ、竹筒一本が空気穴として通されただけで、水も食物も入れられなかった。この竹筒を通して、七日七晩、錏の音と読経[どきょう]の声は聞こえた。しかし、八日の朝、ついに何の物音も聞こえなくなった。村人は竹筒を抜き、そのあとを埋めた。
月日が経ち、いつの頃か、その上に五輪塔が建てられた。
今も、沼田原へ行く道裏に五輪塔は、ひっそりと建ち、野瀬見を見おろしている。この丘のことを人々はいつの頃か、「定の丘」と呼ぶようになった。 |
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