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沼田原[ぬたのはら]から、約一里さかのぼったところに大谷がある。そこには、三十メートルの高さの大きな滝がある。
むかし、むかし、この滝のずっと奥で、一人の仏師が、一心に十一面観音菩薩像を彫っていた。ところが、あまりの水音に気が散って思うように、のみをふるうことができない。考えあぐねた末、
「川の水よ、この菩薩様を彫る間は、どうか静かに流れてくれないか。」
と頼んだところ、願いはかなえられたらしく、水は、突然、川床から消えてしまった。それからは、心乱されることもなく、菩薩像を完成させることができた。この事があってから、この川の一部は川床を流れておらず、少し下流で、また水が流れ出している。それで、この川を音無川と呼ぶようになったのである。
さて、この菩薩像は、野瀬見[のじみ]のお寺に安置されていたが、明治初年の廃仏毀釈[はいぶつきしゃく]に人々は、村々の寺々をことごとく打ち壊し、灰にしてしまった。しかし この時、十一面観音菩薩像と黒仏[くろぼとけ]と呼ばれていた仏像二体は、心ある村の人の手で秘かに運び出された。黒仏は中井傍示[なかいほうじ]の宝泉寺[ほうせんじ]に預けられたままになっている。菩薩像は、沼田原のお堂に移された。菩薩像は、太鼓の音を聞かねば暴れる、という言い伝えがあったため、毎年、旧の正月十日と盆の十七日には踊りを奉納した。踊りは、篠原踊りをややテンポを速めたもので、詞[ことば]はまったく同じであった。現在では、踊りもすたれてしまって、中井傍示から、お坊さんが来て拝むだけである。 |
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