十津川探検 ~十津川郷の昔話~
東中の七人塚東中の七人塚(音声ガイド)
   東中の小高い丘に七人塚がある。これには、次のような伝説が残っている。
 むかし、むかしのこと、玉置山に侍一家、七人が住んでいた。どこから流れてきたか、全く不明である。やがて、東中に下りて住みついてしまった。
 この一家の主人は大変な弓の名人で、射た矢文は玉置山の裾を越えて、小川の徳屋に届いたほどであった。
 東中に移り住んで来た初めは、良い一家であったらしい。しかし、非常になまくらな一家で、東中に、自分たちよりも強い者がいないことがわかると、しだいに乱暴をしでかすようになった。
 どんなことをやり始めたかというと、対岸の山道を通る人を弓で射て、田戸[たど]や板屋[いたや]から買ってきた、わずかの米や塩を奪いだしたのである。主人は弓の名人であったから、はずれることはない。細々と暮らす山村の人達が、やっと手に入れたものを、奪って暮らそうとしたのだから、ひどい侍一家もあったものである。
 小川の徳屋という者も侍だったようで、この一家も同じようなことをして暮らしていた、と言われる。
 東中の住人たちは、非常に困っていた。あの一家を何とかしなければならん、と考えた人たちは、寄り合いを開いて、酔っぱらわせて殺すことに決めたのであった。そこで、村の酒屋でたくさんのドブロクを作った。
 ある夕方のこと、東中の代表がおずおずと侍一家の前に出て、ごちそうと酒の用意もできたので、ぜひ出席してくれるよう頼んだ。しかし、住人のこの親切を怪しんだ一家は、なかなか来なかった。日頃、自分たちのことを地元の人たちが、良くは思っていないことを感じていたからだった。東中の代表は二度、三度と誘いに来た。代表も度胸をつけるために、少々酒を飲んでいたので、四度、五度と誘いに来る人の顔付は、いかにもめでたい様子である。どうやら村人にたくらみはないらしい、とわかってきたが、七度誘いに来ても、行こうとはしなかった。そのうちに夜風にのってにぎやかな歌まで流れてきた。とうとう八度目の誘いがあった。元々酒好きだったその一家の主人は、今来た代表が酒のにおいをプンプンさせているのにがまんできなくなった。
 侍一家はすっかり警戒心をなくして酒盛りの席へ行った。そして、主人以下全員がたらふく酒を飲み、たらふくごちそうを食べた。完全に気を許したのだろう、ぐっすり寝込んでしまった。
 酔って寝込んでしまうのを待っていた人たちは、わっとばかりに襲いかかって緒[ひも]や荒縄で縛りあげ、東中のはずれにある、小さな丘まで担[かつ]いでいった。そこには、すでに大きな穴が掘られていた。その中へ一家は投げ込まれた。七人は石で詰められてほうむられたのであった。一家七人であったので、侍の女房も子どももいたわけであろう。
 一家が埋められたところは、いつしか七人塚と呼ばれ、小さな石が載っている。一家の住んでいた跡は、佐賀屋敷と呼ばれ、今も残っている。もしかすれば、その一家は佐賀という姓であったかもしれない。
(東中を流れる葛川に「もとどり渕」がある。これは、この一家の侍たちのもとどり(ちょんまげ)を切ったところという。現在、七人塚は、東中の人々によって、正月、盆、彼岸にまつられている。)
話者   東中   中西 勇
再話   松実 豊繁

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